倉木麻衣の研究
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*補論16 The "LIFE" of Mai-K ~荘厳さの背景~

 多くの人たちが,若者だけではなくかなりの年配者をも含めて,倉木麻衣の歌に「癒される」という。倉木の曲がただ単に耳に心地よいだけではなく,心の奥底にまで浸透し,その苦悩を和らげるというのだ。私は今までさまざまな観点からその秘密を解き明かそうとしてきたが,どうしても腑に落ちないことがひとつあった。「なぜ,こんな小娘に…」という謎である。

 倉木がデビューしたのは「Baby I Like」のときならば若干16歳。その後も立て続けにヒットを飛ばしたときにでも若干17~18歳に過ぎない。なぜこのような「小娘」の歌に,幾歳月の年輪を重ねたオジサマたちが夢中になるのか,その秘密の一端は「補論6」において考察を加えてみた。しかし,まだ納得がいかない点が残った。それは,オジサマたちが倉木に夢中になるのは分かるにしても,なぜ,このように神の光に打たれたように癒されるのだろうかということだ。

 その理由のひとつは倉木が歌うメロディの荘厳さにある。大野愛果,徳永暁人をはじめとする作曲陣がつむぎだすメロディは人の心を打ち,聞くものに快感を与えることは間違いがない。

 そして倉木の声がある。彼女の声,あちこちで何度も述べたが,そのベネチアングラスにもたとえられる繊細華麗な歌声は,あたかも天使の歌声のように聞くものの心をダイレクトに打ち抜く。

 しかし,もっとも聴衆に癒しを与えるアイテムはやはりその歌詞であろう。倉木が作詞するその前向きでポジティブな歌詞は,沈んだ気持ちを奮い立たせ,落ち込んだ感情に檄を飛ばす。

 だが,ただ単に「前向きな歌詞」というだけで,倉木の曲が神の雷(いかづち)の如き荘厳さを持つだろうか?

 私は常日頃,それだけではない,倉木の曲には何かもっと特徴的な原因が内包されているのではないかと考えていた。そして最近気づいたことがある。

 英語の"life"という単語。

 この単語には大雑把に「生活」と「人生,生涯」という二つの大きな意味がある。そして洋楽を聴くときに非常にしばしば感じることなのだが,"life"を「生活」という意味に使うとき,その曲は軽快なポップナンバーとなり,「人生」という意味に使うとき,今度は荘厳なアンセム(賛歌)となる。

 例を挙げると,The Beatlesの曲において,"life"は,"Yellow Submarine"では「生活,日々の暮らし」の意味に使われ,"In My Life"に於いては「人生,生涯」の意味に使われる。

 "As we lived a life of ease, everyone of us has all we need..."("Yellow Submarine")
 「ぼくらは毎日楽しく暮らし,欲しいものは何でもここにあるのさ…」

 "There are places I remember all my life though some have changed..."("In My Life")
 「姿は変わってしまったけれども,生涯にわたって忘れられない場所がある…」

 一般的にジョン=レノンに「人生」が多く,ポール=マッカートニーの作品に「生活」が多いような気がする。そしてまた一般的には,テクニカルなマッカートニーの曲よりはエモーショナルなレノンの曲の方が心の中に有無を言わさず,ダイレクトに侵入してくる。

 つまり,倉木における"life"の意味である。

 倉木は自らが作詞した英語詞の中でこの単語をよく使う。いくつか例を挙げれば,

 *"This is your life"

 "This is your life 夢なくした君は臆病になる
  Just one more try そんな時は思いだして This is your life"

 *"Start in my life"

 "We can start in my life 一緒に あきらめず夢と
  ねぇ もう一人の 自分に逢えるから
  気持ち一つで 変われるんだ
  ほら ここから始めよう
  Just start in my life"

 *"Double Rainbow"

 "突然気付いた あなたのこと
  こんな近くにいたんだね You're in my life"

 気がつくことは,"Double Rainbow"のみどちらの意味でも通じるが,他の曲に於いてはすべて「life=人生,生涯」の意味で使われているということだ。

 この単語は他の曲の中にも散見されるが,どうやら作詞家倉木麻衣にとっては「life=人生」というのは自明のことであるようだ。

 もとより,一般の日本人リスナーがこの単語の意味をかみ締めながら倉木の曲を聴いているとは思わないが,曲の中に「人生」という言葉を使うとき,やはりその曲は荘厳となり,「楽しむ曲」というよりは「噛み締める」曲となるのではないだろうか?すなわち,「Start in my life」を歌う10台の乙女には,すでに「My Way」を歌う初老のフランク=シナトラの風情が感じられるということだ。

 それがどうした…というご意見もあろう。もちろん"life"の一語で倉木のすべてが語り尽くせるわけではない。しかしただ思うことは,その曲を一過性のヒットソングではなく,永久の価値を持つスタンダード・ナンバーにする力が倉木にはあり,その力に多くの聴衆は癒しをもらう。そして,そのキーワードのひとつとなるのが,この"life"の一語ではないだろうかということだ。

 この言葉をさらりと曲の中に滑り込ませるセンス。一歩間違えば野暮ったくなるところをぎりぎりのところで荘厳さへ昇華させる「文学者」としての倉木の才能にはやはり感銘を受ける。

 これが,私たちが自分の人生の中で倉木の曲を何よりも愛する理由なのではないだろうか。

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