1.はじめに
倉木麻衣とはいったい何者であろうか?
歌手,アイドル,作詞家,大学生(2004年現在)…さまざまな肩書きが存在する。しかし,常に聴衆に最高の音楽を提供し続け,私生活でもその学業と音楽活動の見事な両立は大きな尊敬を勝ち得ている。しかし,私はここで現在多くの倉木ファンが知っているような形での彼女を語ることはできない。なぜなら,「ごあいさつ」でも何度も述べたように,私は日本における音楽シーンの知識がほとんどないからだ。いや,昔はあった。30年近く前,アニメや特撮ヒーロー番組の主題歌に夢中の小学生に過ぎなかった私は,中学1年生のとき,音楽人生の第1次転換点を迎える。山口百恵との出会いである。
これから倉木麻衣のことを語るに当たって,基本的な事実として私の音楽的なルーツは確認しておきたい。そのため,ここで少し時間をいただいて,私の音楽人生の変転について述べさせていただく。
*私の音楽的変遷
「菩薩」とさえ呼ばれ,「時代と寝た女」とさえ言われた山口百恵は,しかしデビュー当時は同年代の森昌子や桜田淳子の陰に隠れ,まったく目立つ存在ではなかった。声量はあったものの声の音域は狭く,当時の中学校の音楽の先生が「この子は歌手としては大成しない」と言われていたことを思い出す。性格的にも同系列の音楽性を持つ桜田淳子が天性の「天真爛漫さ」を武器に売り出していたのに対し,山口百恵は(家庭環境にも恵まれていなかったが),どこか陰がある危うさがあった。売る側もそれは承知の上であったのだろう。デビュー曲の「としごろ」こそ,桜田と同系の天真爛漫アイドルソングであったが,次の「青い果実」「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」と,いわゆる"処女喪失ソング"とも言われる危うい路線が続き,それが成功し,彼女はアイドルとして認知されるようになる。この動きは一定の評価を受けながらもやがてジリ貧となり,彼女はアイドル歌手としては終焉のときを迎えた。しかし,彼女は宇崎竜童=阿木燿子コンビと出会い息を吹き返す。「横須賀ストーリー」における彼女の凄みの聞いた歌唱は,もはやかつてのアイドルのそれではなく,やがて彼女は日本を代表するシンガーとしての地位を確立していく。ちなみに「イミテイション・ゴールド」はこの時期の作品である。
しかし,私は「本格的シンガー」としての山口百恵にそれほどの興味を惹かれなくなった。それは他にもっと興味深い音楽を見つけたからである。
昭和40年-50年代当時の中高生にとっての必須アイテムは,なんといってもラジオの深夜放送であった。多くのパーソナリティが日本の夜を占拠し,中高生は夜が白むまで「トランジスタラジオ」に耳をそばだてたものである。そしてそこから流れてきたのが洋楽であった。私もちょうどそんな時代に生まれ,中学2年の頃から洋楽を聴くようになった。そして,私は山口百恵を「卒業」した。やがて,「ビートルズ研究家」を自称するようになる私であるが,しかし,最初に聞いた洋楽は以外にもフレンチポップスであった。ダニエル=ビダルというフランス人女性アイドル歌手の「私はシャンソン」というレコードが私が最初に買った洋楽のレコードであった。
そして,その耳珍しい音楽は私の心をとりこにし,その後私はまったく日本の音楽というものを聴かなくなった。当時はラジオのヒットチャートをにぎわす洋楽を手当たり次第に聴いていたものだ。
そんな私に第2の転機が訪れた。あるときFMを聴いていた私の耳に聴き慣れないリズムと心を揺さぶるようなメロディが流れてきた。ポール=マッカートニーとウィングスの「ジェット」は,その後の私の運命を変える一曲となった。やがて,私は彼がかつて存在したビートルズという偉大なグループの中心メンバーであったことを知り,ビートルズと60年代そして70年代のロックにのめりこんでいくこととなった。
80年代からはクラッシック音楽もよく聴いた。一時オーディオに懲り,百万円以上もするセットを集めて悦に入っていた。しかし,80年代半ばの「LIVE AID」(英米のスーパースターたちによるアフリカ飢餓救援活動)の頃を境に,ビートルズ以外の音楽というものをあまり聴かなくなってきた。 その後ビートルズは私にとって「研究対象」にもなってきたが,結婚し子どもができ,音楽を楽しむ環境が整わなくなってきたこともあり,次第に熱狂的に音楽を愛することはなくなっていった。
そんな沈滞し切った2004年1月,私は倉木麻衣に出会ったのである。
2.アイドル or ミュージシャン
ネット上の掲示板を見ると,しばしば次のようなテーマに出くわす。
「君は倉木麻衣をかわいいから好きになったのか,それとも音楽が好きでファンになったのか?」
この問に対して,特に若い男性ファンは本音はそのルックスに魅せられているにもかかわらず,カッコつけて「音楽性」を主張したりする。しかし,女性ファンの態度ははっきりと正直である。彼女たちは「かわいらしい」倉木が,「力強く」自分たちに語りかけてくれることに心惹かれているのだ。
くだらない話題とも思えるが,これは倉木を論じる上で実は非常に重大なテーマである。
「アイドル」か「ミュージシャン」か…これは,ずっとずっと昔から「芸能人」について語られてきた重大なテーマで,往々にして二律背反であることが多い。(もちろんすべてではないのは当然)山口百恵も宇崎の曲を歌い始めてからは,アイドル特有の作り笑いを封印した。つまり,どうもこの二つを両立させることは難しいらしい。
現在の日本の音楽シーンを振り返っても,私の乏しい知識でも,なんとなくその傾向は変わっていないと思われる。
そこで,倉木である。
*宇多田ヒカルと倉木麻衣
倉木が17歳でデビューしたときのことはさすがの私も知っている。"Love, Day After Tomorrow"のPV(プロモーション・ビデオ)は鮮烈であった。「こんな幼い美少女が,このような難曲をいとも簡単に歌いこなすとは…」私だけではなく,世間の多くがそう思い,この曲はミリオンセラーとなった。しかし,彼女は決して幸せなデビューを飾ったわけではない。順風満帆の彼女の前に立ちふさがる影…それが宇多田ヒカルであった。
倉木のちょうど1年前に"automatic"で鮮烈なデビューを飾り,"first love"の巨大なヒットを生み出した彼女は,当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった。そんな中で「歌手」倉木は生まれた。これは彼女にとって幸せであったのか不幸であったのか?
女性R&Bというこれまでの日本ではあまり耳慣れない音楽(強いてあげれば和田アキ子?)は,宇多田のブレイクによって国民的音楽となり,業界にとっては「2匹目のドジョウ」を狙うに幸いの状況であった。そして,そこにぶつけられてきたのが倉木である。
確認しておきたいが,私は倉木のファンであり,彼女の全曲を知っているが,宇多田の曲は数曲しか知らない。よって,論旨は当然倉木サイドで展開されるが,客観的に見て避けられないことは倉木不利の内容も書かざるを得ない。
倉木自身にその意思はなかろう。デビュー直前の16歳の高校生にとって,時代の大スターに対する憧れはあっても,宇多田を商業的に「パクる」というような気持ちがあったとは考えがたい。
しかし,周りの「おとな」たちはどうだったろうか。宇多田の巨大なセールスを目の当たりにすれば,関係者は誰でも「2匹目のドジョウ」を狙いたくなるであろう。そしてそれが,倉木にとっての幸運でもあり,不幸でも会った。
幸運とは前述したとおり,宇多田によって開拓された女性R&B「歌姫」ブームである。しかし,彼女にとっての不幸は,そのセールス手法により現在までも2ちゃんねらーに付きまとう「宇多田のパクり」説である。
たとえば,プロダクション・レコード会社側はなぜ"Love, Day After Tomorrow"のPVで倉木を椅子に座らせたのであろうか?その英語混じりの歌詞,体を左右に揺さぶりながら歌う仕草,そして椅子に座れば,それを見た誰もが,当時すでに伝説と化していた宇多田の"automatic"のPVを想起したことであろう。"Love, Day After Tomorrow"はミリオンヒットとなったものの,この製作者側の手法が以後彼女について回る「宇多田のパクり」という不幸を生んでしまった。
しかし,実際はどうなのか?何度も言うように,私は日本の音楽シーンに非常に疎いし,宇多田の曲もせいぜい片手くらいしか知らないからあくまでも一般論を述べたい。
現在ビートルズの音楽についてその音楽性に異議を唱える者はそうはいないだろう。彼らは「世界最高」の音楽を築いたものとして歴史に刻まれている。しかし,彼らの音楽を注意深く聴けば,そこには彼ら以前の50年代のR&BやR&Rのエッセンスが,見事に換骨奪胎して取り込まれていることに気が付く。つまり,彼らは偉大なる「パクり屋」だったのである。しかし,彼らはその前時代の音楽を見事に自分たちのものとして取り込み,強烈なオリジナリティを生み出してきた。すなわち,音楽にせよ文学にせよ美術にせよ,優れたアーティストは常に前代の天才を真似,その上に自分自身のアイデンティティを形成していき,新しいオリジナリティを創り上げてきたのである。
私は倉木に対しても同じことを考える。
当時宇多田と同年代の彼女が,先行してスーパースターとなった宇多田を意識しないはずはないし,彼女の中にあるよいものをどんどん取り込んでいくことは当然のことである。大体,音符の数は知れているのだから,音楽というものは常に何かに似てはいるものだが,それが,R&Bという非常に制約の大きい音楽ジャンルの中ではさらに強調されることは仕方がない。実際,R&B色の濃い倉木のファーストアルバム「delicious way」を聴けば確かに宇多田との共通点も目立つであろう。しかし,第2作以降はR&B色が薄くなり,決してそれほどの類似は感じられないのである。この件に関しての結論はひとつ。問題は倉木を椅子に座らせたプロダクション・レコード会社側の政策の問題に過ぎないということである。
そこで,最初のテーマ「アイドルかミュージシャンか」に戻ろう。当初から指摘されていたことだが,宇多田と倉木の間にあった最大の相違はそのルックスであった。もちろん好みの問題があるから私もここで「倉木のほうが宇多田より美しい」などとは毛頭言うつもりはない。しかし,倉木の方が宇多田に対し,より男性ファンを惹きつける要素を持っていたことは否定できないだろう。そしてこれが,別の問題となって倉木を苦しめることになる。すなわち,「アイドルたるものミュージシャンにはなれない」という偏狭な偏見である。"Love, Day After Tomorrow"のPVの倉木は,確かに魂が吸い取られるほど美しい。実際の彼女はもっといろいろな表情を持つが,あのPVでは,神々しき女神の姿で降臨する。それが,また別の問題を引き起こした。すなわち,「宇多田はミュージシャンだが倉木はアイドルだ」と。実際倉木は作詞だけだが,宇多田は作曲もこなし,その意味で音楽性が高いと思われていた。そのミステリアスな美しさは倉木を人気者にしたが,反面そのせいで音楽性を問われるという不条理を味わった。
それでは,倉木は本当にただのアイドルであったのか?
「アイドル(idol)」というのは「偶像」という意味であるから,イエス=キリストもカストロも長嶋茂雄もビートルズもアイドルである。しかし日本では「アイドル」という言葉に「軽薄なかわい子ちゃん」という意味が込められる。しかし,私はここで強調しておきたいが,倉木は決して軽薄なかわい子ちゃんではなく,前述したような真の意味でのアイドルである。
彼女は詞を書く。これは,まあ宇多田も浜崎も作詞はするので特別視もできないが,その歌詞を読めばそこには軽薄なポップアイドルの姿はない。彼女の詞はシリアスで時にはヘヴィであり,時にはカリスマ的に聴くものを扇動する。かわいいかわいいといわれながらも,彼女には実に多くの女性ファンがいることはそれを証明している。それは,あくまでも彼女のオリジナリティの所作である。宇多田とは何の関係もない。宇多田は宇多田ですばらしい。しかし,倉木は全く別のところで勝るとも劣らずすばらしい。なぜ,双方のファンはそれを認め合わず,堕落した2ちゃんねらーはいまだに「宇多田=倉木」のテーゼにしがみつくのであろうか?
3.作詞~付きまとうゴーストの謎~
しかし,ここまで書いてもなお,「倉木は自分で作詞していない。ゴーストライターが書いているのだ。」との主張が2ちゃんねらーから寄せられる。この件に関してはどうだろうか?
確かに16-17歳の少女が書く詞がミリオンヒットを飛ばせるものか?実は同じような主張は宇多田の詞にも寄せられるのだが,この疑問に関しては詞の中に解決のヒントがある。
倉木の詞を細かく見てゆくとある事実に気がつく。
日本語の歌詞では分かりにくい。メロディを重視して言葉を飾りにしてしまえば単語の羅列でも形はできる。しかし,英語詞の場合はあまり遊びの余地がない。かつて,めちゃくちゃな英語を書いたTシャツを恥ずかしげもなく着て歩いている若者がいたが,最近は語呂さえよければ文法も意味もむちゃくちゃでいいとは,さすがに考えられなくなっている。そこで,倉木の英語詞を"Love, Day After Tomorrow"を例に分析してみる。
著作権の問題があるので,あまり細かい引用は差し控えるが,明らかに二つのことに気が付く。まずひとつは使われている単語が非常に初歩的なものである,言い換えれば中学生でも知っているような単語だけで書かれているということである。また表現も熟していない。「英語」としてはこなれておらず,日本語直訳調の英語詞が目立つ。これは他の曲でも同様で,ある程度の英語力を持つ高校生なら,まず辞書を引くことなく読み通すことができる。わざわざ高校生が書いたと偽装したのならともかく,プロの「おとな」の作詞家なら,このような詞は書けなかったのではないか?
もうひとつの事実がある。倉木の英語詞はほとんど「韻」を踏まない。
私も戯れで,多少は自分で作詞作曲などすることがあるので感じることだが,カッコつけて英語詞を書こうとすると韻を踏まずにはいられない。プロならなおさら避けて通ることができないことだろう。しかし,倉木の詞は韻を踏んでいないのである。そのため彼女の英語詞部の歌はあたかも「朗読」のような誠実な迫力を持って聴くものに迫る。
この二つの事実から感じられることは,これらの楽曲の歌詞がプロではなく,歳若いアマチュアによって書かれたということである。これは,やはり「作詞:倉木麻衣」という事実を証明する証拠のひとつになるのではないだろうか?
しかし,それでもまだ,「偽装」疑惑は残る。では,さらにもうひとつの証拠を提示しよう。デビューアルバム「delicious way」の中に"happy days"という曲がある。かなりパーソナルな経験を歌った歌だが,この歌詞から見えてくるものがある。
倉木自身がこれはデビュー準備をきっかけに離れ離れになった親友のことを歌った歌と言い,その親友に対する謝辞が"delicious way"のアルバムジャケットの中に記されている。ここまで手の込んだ偽装がなされるであろうか?また,クレジットには「Words by Mai Kuraki」と記されている。しかし,著作権は作者の死後まで保護される。いろいろと偽装すれば後々のトラブルの種になることは明らかで,製作者側がそのようなリスクを犯すとは考えにくい。それでもまだ,「一部の曲は実際に作詞していても,ゴーストライターが書いたものもある」という非難があるかもしれない。こう言われれば倉木だけではなく,世のほとんどの作詞家が疑惑の対象になってしまうので詳述しても仕方ないのであるが,倉木の詞を読み通してもうひとつ感じることは,彼女が非常にユニークな,よく言えば独創的な,悪く言えば他人には分かりづらい独特のボキャブラリーを持っているということである。たとえば"delicious way"という言葉。彼女の言によると,「素敵な明日へ続く道」という意味なんだそうだが,説明されないと分かりづらい。また,「life」という言葉を「生活」という一般的な言葉ではなく「人生」という重い意味で使いたがる。全ての曲を通して,一貫した「倉木節」を感じさせるのだ。
以上のようなことからやはり結論として,「Words by Mai Kuraki」とクレジットされた楽曲に関しては,間違いなく倉木自身の作詞であると結論付けざるを得ないのである。ただし,作詞に関するアドバイザーは存在すると思う。その根拠として,彼女の英語詞に「文法的ミス」があまり見られないということが挙げられる。あれだけ独自の言葉遣いを持ち,初歩的な単語で詞を綴る彼女が,しかしあまり文法的ミスを犯していないということは,やはり相談に乗ったり,チェックをしてくれている人がそばにいるであろうことは容易に想像がつく。しかし,そのアドバイザーにしても,倉木の詩的世界を左右するような過剰なアドバイスをしてはいないことは,前述の内容が示すとおりである。また,数曲ではあるが,共同作詞者のクレジットが存在することも「正直さ」の現われと感じられる。
4.歌が下手?
倉木に関する2ちゃんねらーの中傷で目に付くものに「歌が下手」というものがある。続いて,この件に関して考察を加えてみたい。
「歌が下手」という中傷を見ると面白いことに気が付く。いわく,「声量がない」ということを言うものはあっても,「音程をはずす=音痴」という批判がほとんど見られないことだ。つまり,彼らは言外に「倉木は音楽的センスはあるが,声が小さいので歌手としては二流である」という非難を浴びせているわけである。この問題に対しては明らかな誤解があるので,反駁は意外と容易であろう。
「歌手」にはいろんなものがある。「オペラ歌手」「民謡歌手」「演歌歌手」「ロック歌手」等々多くのジャンルがあり,それぞれに人々に愛されている。しかし,これらの「歌手」ジャンルは大きく二つに大別することができる。それは「電気的増幅を使用しない歌手」と「する歌手」である。さまざまな例外は存在するものの,基本的に前者の代表は「クラッシックの声楽家」や「民謡歌手」などであり,その他のものは一般に後者に分類されるいわゆる「ポピュラー歌手」である。この両者の基本的違いは何だろうか。
かつて(マイクロフォンとアンプが発明される前は)歌はすべて「ライブ」の存在であり,歌手は目の前の聴衆にのみ向かい歌いかけたものだ。クラッシックの歌手が代表例であるが,声の大きさにはおのずから限界があるから,彼らが対象とするのはせいぜい小規模なホールに入るだけの聴衆である。そこには電気的増幅装置は存在しないから,ホールの隅々に至るまで声を通すためには,特異に訓練された歌唱法が必要となる。すなわち,腹式呼吸で,喉を大きく開け,朗々とした発声を行う。そうしなければ遠い席の聴衆は歌手の歌を聴くことはできない。すなわちオペラ歌手を代表とするクラッシックの声楽家は,最も優れた「ライブ・ミュージシャン」なのである。NHKのアナウンサーの発声も同様で「声を通す」ことに主眼がおかれる。それでは,ポピュラー歌手はどうであろうか?ポピュラー歌手の場合は基本的に「商業歌手」であるから,その歌唱はレコード,テープ,CD,映画などに録音され,大量に複製が作成され頒布されるということが前提となる。もちろんライブであっても電気的な増幅が行われるからドーム球場でのコンサートが可能になる。
世界初のポピュラー歌手といわれるのは,クリスマスソングの定番「ホワイト・クリスマス」で知られるアメリカのビング=クロスビーである。彼がなぜ「世界初のポピュラー歌手」と言われるかといえば,それは彼の歌唱法にあった。彼はそれまでのクラッシック的発声法に替わり,ささやくような歌唱法を採ったのである。それは1930年代において,彼の歌はフィルムに録音されミュージカル映画として世界中で上演されることが前提となっていたからだ。
もう20年位前になるがNHKのテレビ番組で面白いシーンを見たことがある。それは,クラッシック歌手とポピュラー歌手の歌声をオシロスコープに掛け電気的に分析してみるという実験であった。するとクラッシック歌手の声はきれいなサインカーブを描くのに対し,ポピュラー歌手(森進一であった!)のそれは,激しいギザギザ状態となる。理由は明らかだ。ライブで歌うことを宿命つけられたクラッシック歌手の声には「雑音」が混入しては困る。ホールの隅々に届かなくなるからだ。民謡歌手がろうそくの前で,炎を揺らすことなく歌唱できるのも同様の理由である。しかし,そのためには犠牲にしなければならないことがあった。それは「個性」である。クラッシックの歌手がみんな同じ声をしているなどとは毛頭言うつもりはないが,やはり雑味を取り払った声はどうしても電気信号に近づき,似通ってくる。ソプラノ歌手の声にもっとも顕著であるが,聴きなれないものにとっては声を聴いても,歌手が誰か分かりづらくもなる。それに対しポピュラー歌手の声は雑音成分が多いという意味で「汚い」。当然声は通りにくくなるので,ライブ・パフォーマンスにおいても電気的増幅は必須となる。しかし,逆に「個性」を手に入れた。しわがれ声であったりだみ声であったり,「汚い」のだが人々を魅了する声がある。それこそが優れたポピュラー歌手というものだ。
前置きが長くなったが,それでは倉木の場合どうなのか。
一聴して分かることであるが,彼女の声は小さい。いや,大きな声が出せないというのではなく,ファルセットを多用するせいもあり「大きな声を出さない」のだ。彼女のささやくような歌唱法は,だからこそビング=クロスビーにまで連なる「正統派ポピュラー歌手」の系譜なのである。しかし,近年"歌姫"と呼ばれる日本人女性ポピュラー歌手の中にも,大声量で朗々と歌い上げるタイプの歌手がよく見受けられるようになった。彼女たちの声はよく通る。したがって「ライブで聴きやすい=歌がうまい」という評価を受けがちである。しかしそれはあくまでも個性の範疇であるので,倉木が大きな声を「出さない」ことが「歌が下手」ということには全くつながらないのは明らかである。彼女の歌(の言葉)は確かに聞き取りにくい。歌詞をメロディの中に無理やり押し込み,言葉のセンテンスが音楽のフレーズを超えてあふれ出す("delicious way"などその代表例)楽曲が多いので,その傾向は一層顕著になり,ヘッドフォンで聴いて初めて歌詞が聞き取れるといったことも珍しくはない。しかし,再度強調しておきたいのは,それは歌の上手・下手とは何の関係もない別次元の問題である。ピカソの絵画とモーツァルトの交響曲のどちらが優れているかを論ずるようなものだ。
「優れた歌手」という概念は何を意味するか。洋楽にたとえれば面白い例が存在する。ビートルズにポール=マッカートニーという「歌手」がいる。しかし,私は彼が「ボーカリスト」として評価されている論評をあまり見たことが無い。「バッハ以来の天才的作曲家」「稀代のコンポーザー」という評価ばかりが目に付くのである。一方ジョン=レノンは「鬼気迫るロック・ボーカリスト」という評価を受ける。それはなぜか。その理由は実はポール=マッカートニーが「器用すぎる」ことにある。この天才はほとんど全ての楽器をこなす。作詞も作曲もする。絵も描く。そしてボーカリストとしては「七色の声」を持つ。ご存知の方はなるほど!とお分かりだろうが,"Yesterday","Rocky Racoon","Oh! Darlin'","Why Don't We Do It In The Road"らを聴き比べてみれば,それはとても同じ人物が歌っているとは思えない多様さを持つ。その曲その曲で雰囲気を変え,対象曲の主人公に「なりきる」のである。ところがこの「器用さ」が逆にボーカリストとしての評価を下げてしまっている。大体「天才ボーカリスト」としてどんな名前が思いつくか。ロッド=スチュアート?ミック=ジャガー?…なるほど,彼らはすばらしい「歌手」である。しかし,共通項がある。それは,彼らは「何を歌ってもロッド=スチュアート」であり,「何を歌ってもミック=ジャガー」なのだ。彼らには器用さよりも,何があっても自分の世界を曲げないという頑固さがある。そして,世間はそのような「歌手」を「優れたボーカリスト」として評価する傾向があるようだ。
一方振り返って「倉木麻衣」とはどのような「歌手」なのか?実は彼女は非常に器用である。一聴して分かることであるが,"Love, Day After Tomorrow","The ROSE","不思議の国","イミテーション・ゴールド"を同じ人物が歌っているとはとても思えないのである。彼女もまた「七色の声」を持つ。そして,その多彩な表現力によって特にアルバムにおいては絢爛豪華な錦絵のごとき「Mai-K ワールド」を紡ぎだしている。そして,その才能こそが多くの倉木ファンを魅了しているわけだ。しかし,どうも批判者にとってはこの点が気に入らないらしい。不思議なことである。
下手どころか,倉木は天才的な歌唱を身につけている。大野愛果のつむぎだす複雑なメロディを,若い頃からファルセットを多用しながらいとも簡単に歌いこなし,独特の歌の世界を築き上げてきた。近年ファルセットボイスを多用する「元ちとせ」が大きな話題となったが,倉木はもう数年前からそれを具現化してきている。「歌が下手」という中傷はおのずから消滅するであろう。
5.倉木麻衣の社会学
ここまで,倉木に寄せられてきたさまざまな非難中傷を論駁する形で,彼女の音楽の特徴について述べてきた。ここからは,さらに発展的に彼女の主に詩的世界を通して,倉木麻衣が現代社会に持つ役割を論じてみたい。
倉木はそのアイドル然とした風貌から多くの熱狂的男性ファンを持つが,実は女性ファンも数多い。当然のことながら,彼女たちは倉木の性的魅力ではなく,音楽あるいは詩的世界に魅せられていることは言うまでもない。もちろん男性をも惹きつける倉木の詩的世界の魅力とはどこにあるのだろうか?彼女の曲については「全曲解説」の項で,「解説」なり「感想」なりを述べたいと思うので,ここではかいつまんで特徴のみを論ずることにする。
倉木の歌詞は,読み方によって時に浅く,時に深い。前述したように,彼女の(特に初期の)歌い方は歌詞を前面に押し出すことをしないがために,カードを読まなければ内容が理解しがたいことがある。しかしこれは欠点のように見えながら,その実,大きなアドバンテージを獲得しているのではないか。
日本のポップ・アーティストにとって古くからの大問題がある。それは「日本語をどうやって洋楽のリズムに乗せるのか」という問である。
かつて,1960年代のロカビリーブームのとき,多くの日本人アーティストが洋楽のカバーを行ったが,往々にして見られたのは,日本人による日本語の歌詞をそのまま洋楽のリズムとメロディーに乗せたというもので,あまり成功したとは言いがたかった。ロック系の速いパッセージには母音が極端に多い日本語は乗せにくく,どうしてももったりとした印象を与えてしまい,洗練された音楽にはなりにくかった。この傾向はしかし長く続いたが,やがて新たな方向性が見えてきた。
宇崎竜童率いるダウンタウン・ブギウギ・バンドは1970年代の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の大ヒットで知られるが,宇崎は「スモーキン・ブギ」や「カッコマン・ブギ」で,日本語を早口でまくし立てる歌唱法で,もったりした日本語を速いブギのリズムに乗せることに成功した。また,80年代桑田佳祐は,日本語をぐちゃぐちゃにつぶして英語化することにより見事に日本語のロックを完成させた。そして,実は倉木もこの系譜上にあると考える。倉木は日本語の歌詞をささやくように歌い,あるいはファルセットを多用し,また,英語詞を多く挿入することによって,歌詞の「意味」と「音韻」を切り離し,CDでは「音韻」を味わい,内容は「歌詞カード」で確認するという鑑賞の「二元論」を展開した。これは日本人にとっての「洋楽」の鑑賞法である。メロディと英語の語呂を聴いてその曲を愛好し,次に歌詞カードを見て一緒に歌い,そして訳詞を見て歌詞の意味を確認し,改めて感動する…という「段階的鑑賞法」である。(もちろん,中には訳詞を見て想像していた内容と実際の歌詞の意味が大きく違い面食らうこともある。私の経験では,中学時代,アルバート=ハモンドの「ダウン・バイ・ザ・リバー」という曲を知って,その軽快なリズムを好みよく口ずさんでいたが,やがてその内容が廃液を垂れ流す工場に対する激しいプロテストソングであることを知って愕然としたことがある。)その意味で,「第一段階」においては音楽上の倉木の「歌詞」は浅い。しかし,それはあくまでも彼女の音楽をBGM的に簡易鑑賞したときのことであり,ヘッドフォン等を使用し,あるいは歌詞カードを読みながら彼女の音楽をじっくりと鑑賞すれば,すなわち,ただ「音楽」の一部としての歌詞ではなく,「文学」としての「歌の詩」を正面から鑑賞するならば,それは非常に重い。洋楽なら前述したように「3段階鑑賞」になるところが,それでもやはり日本語を中心とした歌詞であるので,「2段階鑑賞」で済むということは,日本のアイドルポップスには物足りない。しかし,興味はあるが洋楽はちょっととっつきにくい。しかし「かっこいい音楽が欲しい」という中高生には最適の音楽であるのかもしれない。
デビューシングル"Love, Day After Tomorrow"の歌詞を例にとれば,そこには初期の「歌詞の音韻化」の例が多く聞き取れる。
まず,英語詞が多い。多くの日本人には一聴しただけでその意味を聞き取ることは困難であろう。さらに日本語の音声ルールの無視がある。たとえば,
ただ 君と同じ速さで歩きたいから…
という一節は日本語音声のルールを無視して歌われている。日本語の「ただ」は通常最初の「た」,すなわち太字表記の部分にアクセントが置かれる。しかし,倉木はここでこの「ただ」を後ろの「だ」にアクセントをおいて発音する。もちろん曲がそうだからだが,(このあたりの音声から,彼女の作詞法がまず曲を与えられてそれに詞をつけていく方式がとられているということが想像できる)これにより,この「ただ」は「just,only」の意味を持つ単語ではなく「ta-da」という単なる音声にと変質している。もちろん,倉木が敢えて意識して行った作業ではないにしても,結果的に複雑なR&Bのリズムに日本語を乗せることに成功している。
この日本語の「音韻化」の顕著な例が"delicious way"には多く見られる。たとえば,
傷ついたまま 夢見ることなく 大人になるのはつらい 裸足でかけてく 今
歌詞カードには上記のように通常の日本語の意味の切れ目で区切られて掲載されている。
しかし実際に歌われるのは,
傷ついた まま 夢見る こ と な く 大人に なるのはつらい 裸 足で か け てく い ま
アンダーライン部=強く発音される場所
と,意味のつながりを無視したパッセージに分割されている。また,通常の日本語とはアクセントの位置も違う。倉木のこのような歌詞の音韻化により,彼女の曲は日本語の呪縛を離れて,洋楽のリズムとメロディに乗り生き生きと輝き始める。
それでは,歌詞には意味はないのだろうか?
倉木の歌詞はよく同年代の女性の等身大の姿を描いたものと言われる。それが彼女の人気の秘密でもあるといわれるが,実際にはどのようなところにそれが現れているだろうか。前述したように,彼女の歌詞は「音韻化」と「文学」としての二元論でもって聴くものの心を揺さぶる。音韻化についてはすでに触れたので,次に文学的要素について考えてみる。たとえば,"Secret of my heart"。ここには友だちのように接している男友だちに対して,実は恋心を抱いているという「心の秘密」を歌った佳曲であるが,これなど,まさに「等身大」の女子高校生の姿が透けて見えてくる。しかし,彼女は決して男に媚を売ることはない。20年前の演歌の世界では,女は「私はあなたのものだから,死ぬまでついていくから決して捨てないで」という男尊女卑の世界が当然のように歌われていた。しかし,平成を生きる倉木のアプローチは違う。彼女は男(しばしば女も)のことをあまり「あなた」とは呼ばない。使われる二人称は多くは無性別(ユニセックス)の「君」である。そのため倉木の曲を漫然と聴いていると,登場人物の男女が混乱してくることさえある。男女機会均等の時代に生まれた彼女は,もはや性別を超えて男女の間に新しいパートナーシップの結成を呼びかけている。彼女の詞が自律を強める女性たちの応援歌となったことは想像に難くない。逆に恋しい男性を「あなた」と呼ぶとき("Stay by my side" 等),倉木は,突然古風な弱い女性になるのである。
第2作"PERFECT CRIME"における倉木の立場は多少中途半端である。ヘヴィなタイトル曲を熱唱しながらも,ヒット曲の"Stand Up"や"always"を収録せねばならず,前作以来の期待を裏切らないためにはR&Bの"What are you waiting for"や"think about"も必要…と,アルバム全体としてはやや散漫とした印象を受ける。しかし,このアルバムの中から乱暴にも一曲挙げて倉木が求める音楽的世界を追求するなら,私は"The ROSE~melody in the sky~"に注目したい。
この曲はわずか2分の小品である。しかし,その2分は永遠に続く2分である。曲の詳細については「曲目解説」の項に譲るが,倉木はこの曲を全編英語詞で歌う。その堂々とした歌唱から,作詞:倉木麻衣になっていても,私は最初彼女が日本語詞を書き,誰か専門家が英訳したのかと思っていた。しかし,詞をじっくり読むとどうもそうではないようだ。この英語詞も,他の曲と同様に非常に初歩的な単語のみを使い,きわめて平易な文法で記述されている。そこには,倉木の英語作詞法のいつもと同様のルールが見られる。間違いなく彼女自身が作詞したものであるが,「歌詞の音韻化」=「楽曲の洋楽化」はここに至って完成した。しかし,それは単なる洋楽の物まねではない。倉木はこの曲をあくまでも日本的スピリットを持って熱唱する。そして,その歌唱に感動した若者(に限定するわけではないが)は,続いて歌詞を読み,「訳詞」にこだわらずとも心打たれるのである。訳知り顔した「おとな」なら,余りにも幼い高校生の英作文と看過してしまうかもしれないが,彼女と等身大のメンタリティを持つ女子中学生や女子高生にとっては「心のバイブル」ともなりうる曲なのである。
倉木はまた,3作目の"Fairy Tale"において大きな成長を遂げる。
このアルバムは20歳を目前にした倉木が,子どもと大人の合間を揺れ動きながらその中途半端な時代の心の揺れをテーマとしたコンセプト・アルバムとなっている。
夢を捨てるのが大人ならば なりたくはない("Fairy tale~my last teenage wish~")
12時過ぎたら Come back my home Forgive me
平凡な19nineteen にまた戻る
脱ぎ捨てたヒール見つめて繰り返す
子供でも大人でもない 今の私を
あなたは知らない
背伸びをしてる 私がここにいるよ
臆病な心で 夢を見ては ガラスの靴を履く
Not that kind a girl ("Not that kind a girl")
これらの曲に代表されるように,このアルバムの詩的世界は,大人と子どもとの中間地点である「マージナル・マン」の時期を苦しみながらも乗り切ろうとする青年期のバイブルとなっている。「おとぎ話」(fairy tale)というテーマはまさにうってつけの題材であった。
一聴して気づくことは,このアルバムにおいて「黒っぽい」R&Bがほとんど姿を消したということである。このアルバムでの倉木は「日本人R&B歌手」とか「ポップ・アイドル」とかいう偏狭なジャンルを払いのけ,同世代の「カリスマ」,「時代の代弁者」「アーティスト」へと成長を遂げた。
これも「曲目解説」の項で詳述するが,私はこのアルバムは倉木の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(今後"サージェント"と略)であると思っている。
1962年「ポップ・アイドル」としてデビューしたビートルズは,しかし,その人気に安住することなく常に新しい音楽的実験を,しかも巨大なセールスを失うことなく実行していった。その完成型が1967年のアルバム「サージェント」であった。「60年代のすべてがここにある」といわれたこのコンセプトアルバムは,発表後40年近くたっても「ポップミュージックが到達した最高峰」と呼ばれ,若者向けのサブ=カルチャーに過ぎなかった「ロック・アンド・ロール」は,このアルバムの登場によって,総合芸術としての「ロック・ミュージック」に昇華した。
倉木はまさに,ビートルズが「サージェント」で行ったことを「Fairy Tale」で実現した。もちろんビートルズとの単純な比較は不可能であるが,かつて「1960年代という時代を後世に伝えるためにタイムカプセルに何か一つだけ入れて埋めるとしたら,「サージェント」1枚入れておけばそれでいい。この1枚でこの10年のすべてが分かる。」といわれたのと同様に,倉木は普遍的テーマである,少女が大人になって行こうとするうつろい易く壊れやすい心の襞を,このアルバムで見事に描ききった。控えめに見ても「アーティスト倉木麻衣」の誕生を告げる1枚である。
4作目の「If I Believe」は評価が難しいアルバムである。ここにはシングルヒット曲が4曲も収録され,その他にもシングル化できそうなキャッチーなメロディを持った曲が多い。難しさとは,シングルヒット曲は,やはりセールスを重視しなければならないので,その詞もどうしても「万人向け」の内容にならざるを得ない。その意味で,多くのシングルヒットを集めたこのアルバムは「アルバム」としては評価しづらい。しかし,純粋に「ベストアルバム」として鑑賞したときには,至福の時間を与えてくれる作品集であることもまた間違いない。
ただ,特に詞の面においては見過ごしてはならないテーマが少なからずある。
第一に,歌詞の「私小説化」とでも呼んだらいいのだろうか,万人向けのヒット曲と並んで極端に自分自身を直接歌い上げた詞が目立つことである。
たとえば「SAME」では,「芸能人」としてのさまざまなスキャンダル等に振り回された自分が,本当はただ歌を通じて自分を表現したいだけなのだ,周りの雑音に惑わされないで,今は本当の自分でいたい…と歌い,このアルバム収録曲「Time after time」のシングルにおけるカップリング曲「natural」では,やはり周りに惑わされることなく自分は本当の自分でいたいという,倉木の現在の心境とも思える内容が歌われる。
またビートルズとの比較をお許しいただければ,1970年ビートルズを解散したジョン=レノンは極度の精神変調に陥り,アメリカ人精神科医アーサー=ヤノフの「プライム・スクリーム療法」を受ける。これは,医師が患者に子ども時代から現在に至るさまざまな過去を質問し続けることによって,深層心理の中から,患者の精神変調の原因となった原因を探り出すという治療法である。患者は自分を苦しめてきた忌まわしい過去の事実を思い出し,「原初的な叫び(プライム・スクリーム)」を上げてのたうち苦しむ。しかし,その叫びがきっかけとなってカタルシス(精神の浄化)が訪れるというものである。
ジョン=レノンはこの治療を受け「ジョンの魂」という鬼気迫るアルバムを発表した。そこには彼の心の闇の中に潜む病巣,すなわち母との別れ,父の裏切り,虚構としてのビートルズとの決別等が激しく歌われ,長年のファンを大いに困惑させた。しかし,このアルバムでカタルシスを終えたジョンの精神は新たな活躍の場所を求め,日本人妻小野洋子と手を携えて,「奇矯」とも思える平和運動に身を投じて行き,やがては「専業主夫」となるのである。
年齢も違う,経験も違う,立場も違う,当然ジョン=レノンと倉木を単純比較することなどできないが,このアルバムおよびこの時期の倉木の詞はある種彼女にとっての「プライム・スクリーム」ではないのだろうか。
今後の彼女の活躍がどのように変化してゆくか非常に興味深いところであるが,もはや露出過多のポップアイドルにならないことだけは予想できよう。
第二にシングルにもなった「風のららら」である。
新しい作曲者が起用されたせいもあるが,この曲は倉木のライブラリーの中でもきわめて特殊な歌詞となった。すなわち,(コーラスを除き)倉木が歌う歌詞から「英語詞」が消えたのである。しかも,その歌詞は「5」と「7」の音が多用され,きわめて日本的な響きを持つ。この曲は,これを書いている2004年2月現在,彼女の「最新シングル」であるので,今後の興味が尽きないところであるが,この「IF I Believe」の時期を境として,倉木が大きく変化しつつあるという印象を受けるのは私だけではないはずだ。思うに,この曲は先に詞があり,その詞に曲がつけられたのではないだろうか。とすれば,大学生活も順調に進み,音楽活動も順調である彼女の立場が,プロダクションやレコード会社に対して相対的に向上し,自分自身を前面に押し出すことが容認され始めたとも考えられる。こうなると彼女の曲はこの後「万人向け」のものから「好き嫌いがはっきり出るもの」へと変化することも考えられる。ファンとしては彼女の変化・成長を見守ってゆきたい。
第三に歌詞における哲学的な深まりがある。それまで「等身大の」という形容詞が多用され,「若者」の精神的リーダーであった彼女は,さらに文学的,哲学的な詩の世界へと我々をいざない,もう同年代の若者だけでなく,ずっと上の年代の聴衆をもうならせるようになった。
そこで,「Time after time~花舞う街で~」である。
この曲は単なる男女の恋愛歌ではない。これを「輪廻転生」の歌だというのは京都造形芸術大学助教授の中路正恒先生である。(トップページは遊動の哲学のために http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/)中路氏は「倉木麻衣の"Time after time ~花舞う街で~" (2003.9.14)」の中で,
この曲における「めぐりあい」は現世のものではなく,輪廻を超えてのいつか訪れるかもしれない来世への願いである。「春の終わりを告げる 花御堂」と歌われるのは,その輪廻をつかさどる釈迦への願いである
-という。若干20歳の倉木にはっきりとした意識があったかどうかは別としても,倉木の作詞法の深化を示すよい例となる。作詞家・歌手としての倉木麻衣はこれからも大きな成長を続けてくれるだろうということがうかがわれ,今後の活動が楽しみになるところである。
ここに至って倉木は,それまで得意としてきた「洋楽」アーティストとしての"Mai-K"から,日本の心を歌い上げる「和歌」の作者へとその創作の幅を広げた。「Time after time~花舞う街で~」だけでなく,「IF I Blieve」期の曲の多くがそういう意味で「翻訳不要」の「和歌」であることを考えると,アーティスト倉木麻衣の今後の創作活動の行方が気になるところである。よく考えれば,ファン層を大きく広げ,真の意味で日本を代表するトップシンガーになっていく可能性を感じる反面,一歩間違うと"Love, Day After Tomorrow"のファンを失う恐れもある。ただ,多くの聴衆はこの彼女の心の深遠までには心及ばないかもしれないが…。
6.音楽と人間
続いて「倉木麻衣の音楽」について語ろう。しかし,彼女は自分で作曲をしない。ライブで楽器を演奏することはあるが,その腕前についてはそれほど信頼がおけるものではない。ちろん制作の過程でさまざまな意見を述べることはあろうが,やはり「倉木麻衣の音楽」に関しては制作者側,たとえばレコード会社やプロダクション,作曲者(大野愛果,徳永暁人等)や編曲者(cybersound)の果たす役割が大きい。そこは誤解せずに指摘しておきたい。
倉木の音楽の特徴の一つにメロディの複雑さがある。
私も作曲をすることがあるが,簡単に一曲作り上げようとすれば,たとえば
A1(C-Am-F-G)---A2(C-Am-F-C)---サビ(F-C-G-C,F-C-D-G)---A1(C-Am-F-G)---A2(C-Am-F-C)
の2つのメロディで済む。きわめて単純だが,昔からこのパターンで作られた名曲は数多い。
しかし,倉木サイドは決してそのような"simply wonderful"な曲を作らない。多くの曲は複雑なメロディが絡み合い,独特の音楽世界を作っていく。この傾向はシングルよりアルバム曲に多いようだ。シングルでは,ある程度キャッチーな曲を作り,アルバムでは納得いくまでこだわるというところか。
例を挙げよう。以下のような曲では曲のメイン・メロディとは直接つながらない「第3のメロディ」が挿入され,またサビが二つある曲も多い。実は,ビートルズもよくこの手法を使ったが,これは聴くものを飽きさせず,常に新鮮な驚きをもって聴かせるという意味で非常に効果的である。
*happy days
「We share our happy days We laugh and cry a lot…」 | 第3のメロディ |
---|
*always
「alwaysそう信じて 見つめてみよう…」 「always give my love always give my love to you…」 | サビが2つ あるいは第3のメロディ |
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「Sometimes you win Sometimes you lose…」 | 第3のメロディ |
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*Ride on time
「Oh baby Ride on time ゼロから始めよう…」 「君に会うまでの長い道のりを…」 | サビが2つ |
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これ以外にも枚挙にいとまないほどの例が存在することは一聴して明らかであり,この一瞬「えっ」と思わせる「3メロ」の存在のおかげで倉木のファンになったという人も多いのではないだろうか。しかし,意外にも「Stay by my side」や「Secret of my heart」などはシンプルな構成を保っている。「シングル」であることを重視した政策であるのだろうか。
しかしこのような複雑な構成を持つ曲の中でも,もっとも耳に残る曲が「Stand Up」である。
一般にはライブ用に作られたノリノリのシンプルなR&Rという評価をされるこの曲であるが,その実倉木の曲の中でももっとも複雑な構成を持っているものの一つである。
1 | Stand up Come on DJ... | サビ |
---|---|---|
2 | Tell me どれだけの夜を… | 第1メロディ |
3 | この時間が大切 Oh I feel so free... | 第2メロディ |
4 | Catch me a dream Feel the music in me... | 第3メロディ |
5 | いつでもit's OK. more faith 今がchance chance | 第4メロディ |
6 | いつも心素通りして… | 第5メロディ |
なんと言う複雑な構成であろうか。しかし,倉木はその意図に十分に応え,見事な歌唱を見せてくれる。
この「第3のメロディ」に関していえばもうひとつの使い方がある。それは,メロディを表に出すのではなく主旋律のカウンターパートとして裏でコーラスが別のメロディを歌うというもの。たとえば「Reach for the sky」などが顕著であるが,これも実はビートルズが多用した方法である。(同じコード進行で,2つのメロディを歌うのは「I've Got A Feeling」,またポール=マッカートニーのソロ作「Silly Love Songs」では3つのメロディが同時に歌われる。さらに「後追いコーラス」が第3メロディを歌うのは「You're Gonna Lose That Girl」など)倉木は別のところで,「Reach for the sky」はビートルズのようなトラックを作ろうと思ったと明言しているので(Mai-K.netダイアリー#08),これは偶然ではなく意図的に行われた作業であると思う。私が短時間で倉木麻衣の音楽に魅せられた理由は実はこのように,彼女の音楽が私の心の中のノスタルジックな琴線に触れたからなのかもしれない。
音楽についてはまだまだ書き足りないことが多いが,これも後は「曲目解説」へ回させていただく。
続いて彼女のパーソナリティについて簡単に触れておきたい。
倉木は2004年現在,京都立命館大学産業社会学部へ通う学生である。最近では,時代を代表するようなアイドルが,ある大学に入学しながらも途中で挫折を余儀なくされた例もあるように,芸能・音楽活動と学生生活を両立するのは容易なことではない。しかし,倉木は現在それを見事にやってのけている。このことは世間一般の大きな尊敬を集めている。また,ワイドショー等で垣間見る程度であるが,家庭的には恵まれない中,懸命に生きている姿も世間の共感を誘う。ライブのMCなどを聞くと倉木はお世辞にもおしゃべりがうまいとはいえない。すらすらと言葉が口をついて出てくるタイプではなく,一言一句噛み締めるように語る。これをもって「頭が悪いのだ」と称す2ちゃんねらーも多いが,それは的外れな批判であろう。倉木は「適当に」はしゃべらない。自分が次に何を言うべきか,聴衆は何を期待しているのか・・・。それを常に自問自答しながらしゃべっているように見える。そして,彼女のこの真摯さは彼女に人格的魅力を与えている。
このように,倉木の人気の秘密はその優れた音楽活動とともに,この背伸びをしない「真っ正直さ」にもあるのではないだろうか。
しかし,倉木はたとえ成功を収めても一つのところに安住しない。歌詞の変遷でも触れたが,音楽的な成長・発展だけでなく,人間としても成長しているようだ。まさにA rolling stone gathers no moss.である。これほど現れるたびにイメージの変わる女性も珍しい。"Love, Day After Tomorrow"の絶世の美少女は,すぐ次の瞬間"Stay by my side"の多少もったりとした素朴な少女に変わる。かと思えば,トレードマークにもなったマイケーヘアで,独自の世界を作り上げ,しかし,突然京都学生祭典や紅白歌合戦に全く違った顔で登場する…。彼女の著書「myself music」の中で,倉木は,大学の教室に自分をひと目見ようと探しに来た学生が,目の前を通っても自分のことに気が付かなかったというエピソードをあげているが,さもありなんである。自分の本質を決して曲げることはないながら,ひとつところにとどまらず,つねに変化を遂げ成長する。そんな彼女の姿に多くのファンは「癒される」のであろう。
ここまで書いてきて思うことは,まだまだ足らない私の知識への腹立ちである。これからも研究を続け,本当の意味で「役立つ倉木麻衣研究」が構築できるようになりたいものだ。
あいまいに飾った言葉はいらない・・・。
*補論 1(2004.2.23)
今日,ある高校生の方から,
「あなたが倉木麻衣の"マイベスト"アルバムを作るとしたらどんな曲を選ぶか」
というご質問のメールをいただいた。
で,ふと思ったことがある。
倉木の曲の中から何曲かを「選び出すこと」は大変難しい。というのは倉木の曲は一つ一つが個別の曲であるだけでなく,すべてが一つながりになって,大きな「世界」を作っているからではないか。彼女はデビュー以来,自作の曲(詞)を通して,ずっとずっと私たちに対して同じメッセージを伝え続けてくれてる。
「always」 のブリッジ部分がが一番分かりやすい代表例だが,
人生勝つときもあれば負けることもある。
でも,それはそれ。皆一生懸命やってるんだから神様は見ていてくれるよ。
君は,そのままの君でいい。
人生って結構素敵なものだから・・・。
そして,このメッセージは大半の倉木の曲の根底に流れる通奏低音となっている。つまり,倉木の曲は一曲一曲が独立しているというよりはむしろ,すべてがどこかでつながっていて,バルザックの「人間喜劇」や水島真司の「大甲子園」のような巨大な仮想統一世界を作っているような感覚に陥るということだ。 簡単に言うと,一つ一つの曲がただそれだけで存在するのではなく,一つ一つの細胞となって身体全体を作っているとでも言えばいいのだろうか。
もちろん一曲一曲の価値を貶めるわけではないが,その意味で,倉木の曲はただ一曲ポツンと聴くのではなく,アルバム一枚を通して聴いたときにこそその真価を発揮するように思える。
だから,「マイベスト」を作るのは非常に難しい。「Wish You The Best」の選曲がファンの間で賛否両論の大論争になったことは「全曲解説」の項で触れたが,その原因の一端はこんなところにあるのかもしれない。