「SAME」 は非常に注目すべき曲。この曲のプロモーションビデオでは,倉木自身がテレビの中にいる自分を見つめるというシーンがあるが,まさに「自分再発見」の曲である。シングル「natural」のところで述べたように,「natural」とこの「SAME」は過去の自分に決別を告げ,新しい自分の誕生を告げる倉木の「プライム・スクリーム」である。
高校入学直後から歌手になることを夢見て常に前向きに邁進してきた倉木。その意味でこれまでの彼女の曲は常に「現状肯定的人生応援歌」であった。倉木は繰り返し悩める若者たちに「そのままでいいんだよ。前を向いて歩いていこう!」と歌い続けてきた。そして倉木はスーパースターとなり,「夢」を実現させた。しかし,そこに至るまでに彼女が失ったものも大きかった。たとえば親友との別れは「happy days」で歌われ,「natural」では「虚像としてのMai-K」しか見ようとしない世間に失望もした。さまざまなスキャンダルに襲われ,いわれのない非難中傷を受ける。ショウビジネスの中心で生きる倉木の4年はゆうに我々一般人の20年には相当するのではないか。そのうち続く苦悩の中でしかし倉木はついに「悟り」をひらいた。「私は私,ほかの誰でもない」と。
そしてだからこそ彼女は歌う。
「私は歌手。私のことは私の歌で理解して。私は飾り物のお人形さんじゃないの。自分で考え,自分らしくありたい人間なの。今あなた(私の歌を聴いてくれる皆さん)と"同じ"時間を共有していたい。それが"私らしさ"ということだから。」
と。
「natural」と「SAME」で,苦悩の中から悟りを開いた倉木はついに「Just A Little Bit」で昇天する。それはあたかもイエスの復活にもたとえられようか。同時代の若者の先頭に立ち,常に最高のアジテーターであった彼女は,その若者たちとともに悩み,揺れ動き,そして成長してきた。しかし倉木はここに至り自らの足元を見据え,完全にアイデンティティを確立した。そして繭を脱ぎ捨て,新しい姿で降臨した。それはあたかも彼女が「マイケーヘア」を捨てたのと時を同じくする。この時期,音楽だけではなく,プライベートにも彼女の中で何か大きな変化があったのではないかと想像してしまうが,ファンにとっては悩ましいことかもしれない。
ひとつ気になることがある。この曲は倉木とマイケル=アフリックの共同作詞となっている。彼はこのアルバム全編を通して実に重要な協力者となってはいるのだが,この曲の英語詞はきわめて簡単。なぜ敢えて彼が共同作者とされるのか?彼が仮詞を英語で書き,倉木がそれを元に日本語詞を書いたか?おそらく,そういう形での「共同作業」となり,完成作品としてのこの曲においては歌詞カードには記されていない「コーラス」で歌われる部分の歌詞をすべて彼が書いたということになったということだろう。それならかなりの分量になるので納得がいくが,アフリック氏への礼儀として歌詞カードにも記載してほしい。