Natural

 2.はカップリング曲で,アルバムにも収録されず地味な扱いであるのだが,実は倉木のキャリアの中で非常に重要な意味を持つ曲であると思われるので,少し詳しく考えていきたい。

 メロディは大野愛果の印象的な佳作。B面にはもったいないか。

 曲は

 誰にも好かれようと思っていたのが  間違いだったのかも知れない

と衝撃的に歌われる。この曲の発表直後のMai-K.netダイアリー#55の中で,倉木は

「この春からは新しい自分を出し,新しい自分を発見し,「自分らしく」を大切にしたい」

という旨発言しており,この曲および「If I Believe」収録の「SAME」はその発言に沿った曲であると注目される。この発言の趣旨から考えても,これらの曲は決してフィクションではなく彼女の現在の心情をヴィヴィッドに表現した「私小説」風な作品であると考えられる。

 ともあれ,倉木はここでそれまでの「作られたイメージ」をかなぐり捨て,

自分は自分が考える音楽に向かって進んで行きたい,それは他人から見れば批判の対象となるものもあるかもしれないが,自分らしく生きることこそ大切なのだ

−と宣言する。思えば,デビュー以来神秘のベールに包まれていた彼女は,ワイドショーに対しても常に話題を提供してきた。そして,その中のいくつかは「倉木麻衣論」でも書いたように全くいわれのない誤解,中傷,非難であり,無垢な彼女はその渦の中で大いに苦しんだに違いない。しかし,彼女は20歳を越え,ここに新しいアイデンティティを確立した。

「自分は自分 ほかの誰でもない。私はシンガーでありアーティストであり,それ以外の何者でもない。私を語るのはほかのことではなくまず"歌"で語って欲しい。まだまだいろいろ言う人たちはいるだろうけれど,私の歌を認めて愛してくれる人がいるならばそれで十分。だから私は今新しい自分になる。」・・・。

この曲からは倉木の強いメッセージが感じられるのである。

 またビートルズの話で恐縮だが,この曲を聴いて思い出す言葉がある。

 1963年イギリスで「ビートルマニア」とよばれる社会現象が巻き起こった。若い女性たちは彼らに熱中し,叫び,失神し,レコード売り上げは空前のレベルに達した。しかし,いつの時代にも批判者はいる。曰く,「あんなのは音楽じゃない,うるさいだけの騒音だ」「髪が長くて不潔」「服装が奇抜」「不良の音楽」等々・・・。ところで,こういった声に対しどう思いますかと質問されたジョージ=ハリスンはこう応えた。(彼は先年惜しまれながらも癌で他界したが,このとき若干20歳。まさに,倉木と同年齢であった。)

 「僕たちを嫌いでもかまわない でも,僕たちを否定しないで欲しい」

 大人が僕らの音楽を嫌いならそれはそれで自由だ。いやならレコードを買わなければいいし,テレビやラジオを消せばいい。でも,今僕たちがこうやってここにいて,これだけ売れているってことは否定できない事実だ。嫌いなものを否定するのは正しいやり方ではない。僕らは僕らの道を行く・・・。彼は,こう宣言したのだ。

 そして倉木もまた宣言する。

   やっぱり私は私でしかいられない

と。

同じ20歳ではあっても,スーパースターとして4年の歳月を歩んできた倉木のそれは,漫然と時を過ごした我々のそれとは大きく違うだろう。倉木はここに「おとな」になった。しかし,それは彼女が別のところで宣言しているように,

 夢を捨てるのが大人ならば なりたくはない(Fairy tale〜my last teenage wish〜)

夢に向かって進むことが自分にとって「当たり前のこと(ナチュラル)」であり,それを理解してくれる人たちに向かってこれからも自分の夢を語っていきたいという「自己を確立した永遠の少女」としての姿であった。聖母マリアは決して歳をとらない。

 人生の中で落ち込む事 たくさんあるけど

倉木はそうも語る。実際に軽薄な一部のマスコミ報道や,誤解だらけの記事を見るにつけ,あるいは彼女の家庭の問題における苦悩を聞くにつけ,この人は20歳にして,普通人が一生かかってもしないような苦労を経験してしまったと感じる。それは倉木にとっては激しい精神的重圧であったろう。だが,これも「倉木麻衣論」で書いたように,この曲と「SAME」を代表とする「If I Believe」期の曲のいくつかは,倉木の「プライム・スクリーム」である。彼女は自分を見つめなおすことにより,苦しみ抜いてついにカタルシスを得た。ここから新しい倉木の歩みが始まる。今後の彼女の活動にさらに興味が惹かれるのはいうまでもない。

 蛇足ではあるが,ここで「プライム・スクリーム」によりカタルシスを得た,ジョン=レノンの幼少時代のエピソードを紹介する。

 彼の父フレッドは船乗り,母ジュリアは遊び人であった。父はジョンが誕生したころ船に乗って出奔し行方不明となり,母は養育能力がないため,ジョンは母の姉に預けられた。そんな中,彼が5歳になったとき突如父が舞い戻り,母との間で,どちらがジョンを取るかという揉め事が起こった。そして,なんと結論は5歳のジョンにゆだねられたのである。「どちらについていくか自分で決めなさい」と。ジョンは最初父を選んだ,しかし,去ってゆく母の背中を見ると彼はたまらず振り向き母の後を追った。その後父は再び行方不明になり,ジョンは伯母の元へ帰った。しかし,ジョンが16歳になる頃,母ジュリアとジョンの関係は非常に良好となり,ジョンは初めて母の愛を感じるようになった。が,そんな時突然の悲劇が襲った。ジョンの目と鼻の先で,母が交通事故で亡くなったのである。ジョンの苦しみはいかほどであっただろうか…。その後,不良少年として荒れ狂ったジョンは「唯一本当のもの」と感じられたロック音楽に出会い夢中になり,やがてビートルズとして史上空前の大成功を収める。ところが,そんな中,彼にとって再び「悪夢」が訪れた。かつて行方不明となり,現在は落ちぶれ果てた父フレッドが突如人気絶頂のジョンの前に現れたのだ。理由は一つ。金をせびること。ジョンは相当の金を渡すと,こう言い放った。「二度と現れるな!」しかし,その後フレッドは"ジョンの父"であることを振りかざし,「これぞ我が人生」などというレコードまで出した。考えまいと思っても,倉木のことを思い出してしまうのは私だけだろうか?

 ちなみにこの両親とジョンレノンの関係に関するプライム・スクリームは,アルバム「ジョンの魂」のオープニング曲「母(Mother)」としてきくことができる。


indexに戻る