以上が,「倉木没落論」に対する「音楽業界的回答」である。
ところで,私は最初に「二つの観点から反論する」と述べた。そこで,次に「文化的観点」から倉木のアーティストとしてのレゾン・デートル(存在意義)について考えて生きたい。
「倉木麻衣論 補論2」で,私は倉木の魅力はその「可塑性」にあると述べた。すなわち,倉木はいつまでも未完成の魅力,いわば大輪の花を咲かせる風情を持った可憐なつぼみの魅力を持ち続ける稀有なアーティストであり,ファンは「麻衣ちゃんを何とかNo.1にしたい」と思って彼女を応援し続ける。それこそが,これだけ露出が少ないにもかかわらず,倉木が巨大な人気を保っている秘密ではないかと書いた。もし,倉木の出す曲出す曲がすべてミリオンセラーとなり,レコード大賞を連続して受賞したり,キャラクターグッズが街に溢れるようになれば,おそらく「にわかファン」は増えるであろう。しかし,Easy come, easy go...彼ら彼女たちは,次にもっと魅力的な「商品」が提示されれば,ためらうことなくそちらへシフトしていくのではないか。しかし,そのとき以前から倉木を熱心に支持し続けてくれていたファンのどのくらいが残っていてくれるだろうか?