No.3


 宇崎竜童率いるダウンタウン・ブギウギ・バンドは1970年代の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の大ヒットで知られるが,宇崎は「スモーキン・ブギ」や「カッコマン・ブギ」で,日本語を早口でまくし立てる歌唱法で,もったりした日本語を速いブギのリズムに乗せることに成功した。また,80年代桑田佳祐は,日本語をぐちゃぐちゃにつぶして英語化することにより見事に日本語のロックを完成させた。そして,実は倉木もこの系譜上にあると考える。倉木は日本語の歌詞をささやくように歌い,あるいはファルセットを多用し,また,英語詞を多く挿入することによって,歌詞の「意味」と「音韻」を切り離し,CDでは「音韻」を味わい,内容は「歌詞カード」で確認するという鑑賞の「二元論」を展開した。これは日本人にとっての「洋楽」の鑑賞法である。メロディと英語の語呂を聴いてその曲を愛好し,次に歌詞カードを見て一緒に歌い,そして訳詞を見て歌詞の意味を確認し,改めて感動する…という「段階的鑑賞法」である。(もちろん,中には訳詞を見て想像していた内容と実際の歌詞の意味が大きく違い面食らうこともある。私の経験では,中学時代,アルバート=ハモンドの「ダウン・バイ・ザ・リバー」という曲を知って,その軽快なリズムを好みよく口ずさんでいたが,やがてその内容が廃液を垂れ流す工場に対する激しいプロテストソングであることを知って愕然としたことがある。)その意味で,「第一段階」においては音楽上の倉木の「歌詞」は浅い。しかし,それはあくまでも彼女の音楽をBGM的に簡易鑑賞したときのことであり,ヘッドフォン等を使用し,あるいは歌詞カードを読みながら彼女の音楽をじっくりと鑑賞すれば,すなわち,ただ「音楽」の一部としての歌詞ではなく,「文学」としての「歌の詩」を正面から鑑賞するならば,それは非常に重い。洋楽なら前述したように「3段階鑑賞」になるところが,それでもやはり日本語を中心とした歌詞であるので,「2段階鑑賞」で済むということは,日本のアイドルポップスには物足りない。しかし,興味はあるが洋楽はちょっととっつきにくい。しかし「かっこいい音楽が欲しい」という中高生には最適の音楽であるのかもしれない。


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