No.4


 当時宇多田と同年代の彼女が,先行してスーパースターとなった宇多田を意識しないはずはないし,彼女の中にあるよいものをどんどん取り込んでいくことは当然のことである。大体,音符の数は知れているのだから,音楽というものは常に何かに似てはいるものだが,それが,R&Bという非常に制約の大きい音楽ジャンルの中ではさらに強調されることは仕方がない。実際,R&B色の濃い倉木のファーストアルバム「delicious way」を聴けば確かに宇多田との共通点も目立つであろう。しかし,第2作以降はR&B色が薄くなり,決してそれほどの類似は感じられないのである。この件に関しての結論はひとつ。問題は倉木を椅子に座らせたプロダクション・レコード会社側の政策の問題に過ぎないということである。

 そこで,最初のテーマ「アイドルかミュージシャンか」に戻ろう。当初から指摘されていたことだが,宇多田と倉木の間にあった最大の相違はそのルックスであった。もちろん好みの問題があるから私もここで「倉木のほうが宇多田より美しい」などとは毛頭言うつもりはない。しかし,倉木の方が宇多田に対し,より男性ファンを惹きつける要素を持っていたことは否定できないだろう。そしてこれが,別の問題となって倉木を苦しめることになる。すなわち,「アイドルたるものミュージシャンにはなれない」という偏狭な偏見である。"Love, Day After Tomorrow"のPVの倉木は,確かに魂が吸い取られるほど美しい。実際の彼女はもっといろいろな表情を持つが,あのPVでは,神々しき女神の姿で降臨する。それが,また別の問題を引き起こした。すなわち,「宇多田はミュージシャンだが倉木はアイドルだ」と。実際倉木は作詞だけだが,宇多田は作曲もこなし,その意味で音楽性が高いと思われていた。そのミステリアスな美しさは倉木を人気者にしたが,反面そのせいで音楽性を問われるという不条理を味わった。


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