No.2


*私の音楽的変遷

 「菩薩」とさえ呼ばれ,「時代と寝た女」とさえ言われた山口百恵は,しかしデビュー当時は同年代の森昌子や桜田淳子の陰に隠れ,まったく目立つ存在ではなかった。声量はあったものの声の音域は狭く,当時の中学校の音楽の先生が「この子は歌手としては大成しない」と言われていたことを思い出す。性格的にも同系列の音楽性を持つ桜田淳子が天性の「天真爛漫さ」を武器に売り出していたのに対し,山口百恵は(家庭環境にも恵まれていなかったが),どこか陰がある危うさがあった。売る側もそれは承知の上であったのだろう。デビュー曲の「としごろ」こそ,桜田と同系の天真爛漫アイドルソングであったが,次の「青い果実」「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」と,いわゆる"処女喪失ソング"とも言われる危うい路線が続き,それが成功し,彼女はアイドルとして認知されるようになる。この動きは一定の評価を受けながらもやがてジリ貧となり,彼女はアイドル歌手としては終焉のときを迎えた。しかし,彼女は宇崎竜童=阿木燿子コンビと出会い息を吹き返す。「横須賀ストーリー」における彼女の凄みの聞いた歌唱は,もはやかつてのアイドルのそれではなく,やがて彼女は日本を代表するシンガーとしての地位を確立していく。ちなみに「イミテイション・ゴールド」はこの時期の作品である。

 しかし,私は「本格的シンガー」としての山口百恵にそれほどの興味を惹かれなくなった。それは他にもっと興味深い音楽を見つけたからである。


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