1.2.両方がA面扱いとなっている。暗さの極致の1.と,明るい希望に満ちた2.はどちらも佳曲でありヒット性を持っているが,余りにかけ離れたタイプの曲であるためにこの方法を選んだのであろう。しかし,これはセールス的にはマイナスとなる。両A面扱いのレコード/CDは,ラジオ等へのリクエストが分散され,ヒットチャートはあがりにくい。ビートルズは1967年に「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー/ペニー・レイン」を両A面扱いで発表したが,これは1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」以来続けていた全英チャート1位獲得ができなかった初のシングルとなった。
ともあれ,1.はひたすら暗い。キャリアの中ではこのような曲も必要ではあるのだろうが・・・。ボーカルは大筋でダブルトラックで収録され,声に厚みを与えている。
内容であるが,この曲はまさに「洋楽」としての倉木の代表作ともいえる。すなわち,英語交じりの歌詞でささやくように歌われる心地よさにだけ体を預ければ,この曲は「傍にいるのにあなたが分からない」という失恋の歌にも聞こえる。しかし,歌詞を確認するとき,我々は意外な驚きを感じる。この曲の最後,英語詞の部分で歌われる内容は,
「そばにいて 私たちを見て 私たちはこの地球上で生きようとするの 月光の星(? "moonlights and stars" 「月の光と星の光」の意か?)に照らされて 子供たちはみんなこの地球上で生きるために戦っている・・・」
・・・これは何を意味するのか?反戦歌でもなさそうであるし,ストリートチルドレンのことでもなさそう・・・。受験戦争や児童虐待やいじめやその他もろもろの問題の中で,現代の子供たちは大変な思いをしながら生き抜いているということを表現しているのだろうか。と思い,いろいろ調べていると「myself music」の中で倉木自身が「少年犯罪」に言及していた。
歌は暗いが,実は歌詞は希望に満ちて明るい。
「少しでも光が見えるのなら それに向かって歩んでいこう」
と前向きに歌われるが,その対象は「恋人」ではなく「輝く幾千の瞳」を持つ子供たちであるようだ。
難解な内容ではあるが,ともあれ倉木の作詞家としての大きな成長を示す一曲となった。
2.では,我々はここに新しい「卒業ソング」のスタンダードを手に入れた。
過去,多くの卒業をテーマにした歌が作られてきたが,この曲はそれらの中でも特に前向きである。「冷たい海」でもあれだけ前向きになれた倉木のことであるから,この曲調では当然か。
特に「start in my life」(人生における"ある一つの"旅立ち)という言葉は倉木独特の楽天性を表している。凡庸な作詞家ならこれを「start of my life」(人生の"一回限りの"旅立ち)としたいところであろう。しかし倉木はここで,我々に
「人生は何回でもやり直しがきく,つらくても今旅立とう,きっと明るい明日がある」
と歌うのだ。いわば「冷たい海」で「生きるために戦う子供たち」へのアンサーソングともなっている。
若干19歳にして倉木はなんと言う高みに昇ってしまったのであろうか。