「ビートルズ音楽論」


3 第三期 “新しい音楽模索の時代”

−アルバム『ラヴァー・ソウル』・『リヴォルヴァー』の時代  (1965年〜66年)

 この時期に発表されたシングル及びアルバム

  1. シングル『デイ・トリッパー/恋を抱きしめよう』(1965.12.3)
  2. アルバム『ラバー・ソウル』(1965.12.3)

  3. シングル『ペイパーバック・ライター/レイン』(1966.6.10)
  4. アルバム『リヴォルヴァー』(1963.8.5)

 

 アルバム『ヘルプ!』における『イエスタデイ』『悲しみはぶっ飛ばせ』などの新しい音作り/詩作面における内省化の流れは,シングル『デイ・トリッパー/恋を抱きしめよう』を経て,アルバム『ラバー・ソウル』に至って完成する。『デイ・トリッパー』はドラッグ使用をほのめかし,『悲しみはぶっ飛ばせ』では,ボブ=ディランの影響を受けたジョンが,詩作面で哲学化し,“ポップ・ミュージック”の限界を越える挑戦を見せた。続く『ラバー・ソウル』では,その傾向はますます歴然とし,全編の中で,単純なロック=アンド=ロール・ナンバーは影をひそめ,詞の面で,あるいはメロディの美しさで,激しく自己主張する曲のオンパレードとなった。『ひとりぼっちのあいつ』では,マージナルな“変わり者”がモチーフとなり,『ノルウェーの森』では,ジョンの秘密の恋が歌われた。そして,ジョンの『イン・マイ・ライフ』とポールの『ミッシェル』のメロディは至高の美に満ちている。しかし,何よりもその後のビートルズの動向を占う意味で重要な意味を持つ曲が,前述の『ノルウェーの森』である。この曲の中で,ジョージはたどたどしく,インドの民族楽器であるシタールに挑戦し,この曲に一種独特のムードをかもしだした。やがてビートルズは,ジョージの主導でインド思想にのめり込んでゆくが,ここにその萌芽が見られるのである。

 ここに見られるビートルズは,もはやかつての“ポップ・アイドル”とはかなり様相を異にしている。デビュー当時からシニカルで独創的であった彼らは,すでに他のポップスターとは一線を画していたが,ここに至って,はっきりと“こどものアイドル”から“ポップ・アーティスト”へと質的変化を遂げてきた。曲調は複雑になり,詞は象徴的になり,メッセージを持ち始め,パフォーマンスの質も格段に向上した。ファンの中には戸惑った者も多かったようだが,ビートルズはそのウイングをあらゆる世代に向けて広げ始めたのである。

 しかし,問題もあった。ビートルズがこのようにアーティストとして成長を遂げるにつれ,うち続く困難なコンサートツアーが苦痛になってきた。多様な楽器を使用し,複雑なメロディやコーラスを多用した曲作りは,数万人規模の泣き叫ぶ群衆(ビートルマニア)を前にした,30分間のパフォーマンスにはなじまなくなってきたのである。

 次のアルバム『リヴォルヴァー』はこの傾向を完全に決定づけた。このアルバムは,テクノロジーの進歩に助けられて,最新技術オンパレードのアルバムとなったが,『エリナ・リグビー』の弦楽八重奏団,『アイム・オンリー・スリーピング』のテープの逆回転,『ラヴ・ユー・トゥ』のシタール,『イエロー・サブマリン』の効果音,『ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ』のブラス,『トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ』の電子音等々をステージで完全に再現することは,もはや不可能であり,ラブソングを歌わず,税制に不満をぶつけるビートルズは,もはやかつての“アイドル”の姿を完全にかなぐり捨てていた。ジャケット写真も『ラバー・ソウル』では顔がゆがめられ,『リヴォルヴァー』に至ってはジャケットから顔写真が消えた。(そこには,クラウス=フォールマンの手によるポップアートがあった。)そして,66年8月29日のアメリカ,サンフランシスコ,キャンドルスティック・パーク・スタジアムでのライブパフォーマンスを最後に,彼らは公演旅行を停止し,レコーディングスタジオにこもることになった。