「ビートルズ音楽論」 2 第二期 “ロック=アンド=ロールの時代”(1962年〜65年) −シングル『ラヴ・ミードゥ』からアルバム『ヘルプ!』まで (1962年〜65年) この時期に発表されたシングル及びアルバムは,次の通りである。
(1)『ラヴ・ミー・ドゥから『ビートルズ・フォー・セイルまで 彼らは,マネージャー,ブライアン=エプスタインの尽力もあって,賢明にも,オリジナル曲『ラヴ・ミー・ドゥ』を,プロデューサー,ジョージ=マーティンに,デビュー曲として認めさせることに成功した。この曲は小ヒットにとどまったが,結局ビートルズは,以後,(イギリスでの)ほとんどすべてのシングルレコードを,ジョンとポールの作詞・作曲によるオリジナル曲の形で発表する。そして,このオリジナリティこそ,彼らの,あの巨大な成功の秘密であった。 この時期は,アルバムには,オリジナル曲と,アマチュア時代からのロック=アンド=ロールのスタンダードナンバーが混在するが,カヴァー・レコードも,一聴して,オリジナル曲かと聞き違えるほど,“ビートルズ化”されている(『ツイスト・アンド・シャウト』,『ロック=アンド=ロール・ミュージック』など)。オリジナル曲に関しては,62〜64年ころは,やはり主として,ストレートなロック=アンド=ロール曲が多いが,先行する曲に比べれば,コード進行は,ひとひねりもふたひねりも工夫され,コーラスも斬新なアイデアに満ち,演奏技術も,決してテクニカルとは言い難いものの,当時としては(特にべーシストとしてのポールは)出色の出来であった。さらに,詞の面においては,ビートルズ独特の工夫が凝らされていた。ビートルズの“作詞家”としては,特にジョンが名高いが,この時期には,当たり前のラブソング中の,あたり前の言葉であっても,そこには,独創的ないくつもの工夫が見られた。(たとえば,「好きだ」というのにも,ただ単に "I love you."と言うのではなく,"P.S. I love you."であったり,"She loves you."であったり,"And I love her." であったりした。)とにかく,一言で言えば,彼らの音楽は非常に“新鮮”であったのである。 最初のアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』と2枚目の『ウィズ・ザ・ビートルズ』では,カヴァー曲とオリジナル曲が半々に混在するものの,3枚目の『ア・ハード・デイズ・ナイト』(彼らの主演第一作映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』のサウンドトラック)では,全曲が,自分たちの作詞・作曲によるオリジナルとなり,その後もアルバムにおけるオリジナル曲の割合は大きくなり,66年の『ラヴァー・ソウル』以降は(一部の例外,民謡『マギー・メイ』などを除いて),全曲がオリジナル曲となってゆく。(ただし,1964年の『ビートルズ・フォー・セイル』は前作『ア・ハード・デイズ・ナイト』からわずか5カ月後の発表であったため,オリジナルは半数であったが,その次の『ヘルプ!』では,カヴァー曲は,ラリー=ウィリアムズの『ディジー・ミス・リジー』とリンゴが歌う『アクト・ナチュラリー』の2曲のみとなっている。) この時期の曲は,全体的に言えば,『プリーズ・プリーズ・ミー』や『シー・ラヴズ・ユー』,『抱きしめたい』などの,主にシングルとなった,軽快なポップナンバーと,『アンド・アイ・ラヴ・ハー』,『イフ・アイ・フェル』などのメロディアスなラブバラードとに大別されるが,両者ともオリジナリティに富み,先行するアメリカン=ポップスを下敷きにしながらも,一聴して耳に残る,独創的なメロディを持っていた。この時期のジョンとポールは,お互いが顔をつき合わせながら,協力してひとつの曲を創りあげることが多く,それらのオリジナル曲は“作詞・作曲:レノン=マッカートニー”の共作クレジットのもとに発表されることになった。(たとえば,ザ=ローリング=ストーンズの第2作シングルとなった『彼氏になりたい』は,ミック=ジャガーらの求めに応じて,楽屋の片隅で,ジョンとポールが額をつき合わせて,わずか十数分の間に作られた曲である。これに影響を受けたストーンズは,自分たちもオリジナル曲作りに精を出すようになる。) (2)『ヘルプ!』における変化 一貫して,アメリカン=ポップスやリズム=アンド=ブルースを下敷きに,良質の音楽を提供してきたビートルズであったが,早くも1964年の,シングル『アイ・フィール・ファイン』あたりから,新しい音作りへの挑戦が見られるようになった。このヒットシングルのレコーディングにおいて,彼らは意識的に,エレクトリック=ギターのフィードバック(ギターとアンプを接近させることによって出る,一種のハウリングノイズ)を使用し,曲に不思議なムードを与えることに成功した。次作アルバム『フォー・セイル』では,伝統的なロック中心の音作りに立ち戻ったが,65年の,同名映画のサウンド=トラック盤ともなった,アルバム『ヘルプ!』は,新しい時代を迎えるビートルズの姿を,はっきりと映し出していた。 日本も含めて,ポピュラー歌手にとって,“イメージ=チェンジ”の時期と方法というのは,その歌手の存亡を決定するほどの重大な意味を持つ。イメージ=チェンジに失敗して消えてしまったアーティストは数多く,(ベイ=シティ=ローラーズなどはその典型だろうか?あるいは,ローリング=ストーンズのように,30年以上イメチェンを行わずにもってきたバンドもあるが…。)人気絶頂のビートルズにとっても,マンネリに陥る前のイメージ=チェンジが,重要なテーマとなってきた。 『ヘルプ!』に先立つシングル,『涙の乗車券』は,ストレートでセンチメンタルなラブソングでありながら,変拍子を使用した複雑な音作りを行い,シングル『ヘルプ!』では,ジョンが詞の面における“私小説化”をはかった。ジョンの,この“助けてくれ”という心の叫びは,ひとつのフィクションとしか受け取られなかったが,この曲以後,ジョンは詞の面で,“本当のこと”を歌うという態度を明確化してくる。 アルバム『ヘルプ!』における変化は,聞くものにとって,それほど目を引くことはなかった。『ヘルプ!』はストレートなロックナンバー,『恋のアドバイス』は底抜けに楽しいポップス,『イッツ・オンリー・ラヴ』は良くできたバラード…。そこまでは,従来のアルバムとの間に,大きな変化はない。しかし,『夢の人』のようなカントリー・フォーク風な作品の登場など,音楽的にその幅が大きく広がってきたことは明確であり,曲の裏側を見れば,前述したように,特にジョンにおいて,詞の面で,ひとつの特徴的な変革があった。これは後の“中期ビートルズ”の性格を決定づけてゆく。 しかし,何と言っても,最も大きな変化のきざしは,“あの”一曲の存在である。 『イエスタデイ』−世界ポピュラー音楽史上,最も有名な一曲−この曲は,ただのラブバラードではなかった。ポールが,彼が14歳のとき乳ガンで死去した母メアリーをイメージして作った作品と言われるが,この作品はポール一人によって作詞・作曲され,(クレジットはレノン=マッカートニー)演奏も,ポールのギター一本で彼自身が歌うという,まったくのポール=マッカートニーのソロ作品であった。(そのため,ジョージ=マーティンは,当初この曲を,“ポール=マッカートニー”のソロの名義で発売しようと考えた。)ジョージ=マーティンは,この曲のバックにはロック=バンドは必要ないと考えた。それに対し,ポールは,ムード音楽のような大層なオーケストレーションは拒否したものの,マーティンの助言に従って,弦楽四重奏(第一ヴァイオリン・第二ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ)を使用することは受け入れた。ここに,彼らは,知らず知らずのうちに,“ロックとクラッシックの融合”という大事業をなし遂げたのである。そして,この,ただのロック=アンド=ロールにとどまらず,クラッシックや,ジャズや,民族音楽や,その他さまざまな音楽を含む大融合音楽としての“ロック”の形成こそが,次の“第三期ビートルズ”の仕事になるのである。 |