倉木は,今その「マージナル・マン」の時期を終えようとする自分を見つめなおし,新たな出発を宣言する。「FAIRY TALE」にはそこに至る彼女の苦悩がリアルに描き出されている。これほどの正直な鬼気迫るアルバムを私は他に知らない。しいて言えば,ジョン=レノンの「ジョンの魂」か。19歳の倉木はここで,ジョン=レノンにも匹敵する人類の詩人となった。

 この現代の社会は,倉木自身が「冷たい海」で歌ったように,こども・若者たちにとっては,戦場とも言える厳しい世界である。そして,社会自体が「こども・若者を守る」というフリをしながら実は,その守るべきものに大きなダメージを与え続けているのだ。皆が苦しんでいる。ここからどうやって抜け出せばいいのか?一つの方法は早く「おとな」になってしまうことだ。しかし,そのためには「夢を捨て」なければいけない。ならどうすればいい。こうして現代の若者たちはどうしようもない袋小路に迷い込んでしまうことになる。しかし,そこに「FAIRY TALE」で倉木が灯火を与えてくれた。彼女ははっきりと「思い出の向こうに未来がある」と彷徨える若者たちに啓示を与え,自分の大切にしてきた過去の再確認こそ未来へ飛び立つ鍵であると導くのだ。


 長々と語ってしまったが,再びアルバムの話に戻ろう。

   このアルバムの曲目リストを見て気がつくことがある。それは,シングルとして発売された曲が4曲しかないということである。「delicious way」には5曲,「Perfect Crime」には8曲もあったシングル曲が「FAIRY TALE」にはたった4曲しか再録されていない。そのために,このアルバムは「ヒット曲の寄せ集め」ではない,アルバムとしての質を問うことができる「芸術作品」となっている。

   構成は非常によく考えられている。

   まず,「Fairy tale〜my last teenage wish〜」 によって,アルバム全体のテーマ

 「こどもからおとなへ至るこの不安な時期,私たちはどう生きていけばいいのか。こんな苦しい世の中だからこそ,もう一度自分の原点に立ち戻って,自分自身を再確認してこよう。それが,明日への一歩につながるのだ」

 「さあ,自分をはぐくんだおとぎ話の世界へ出かけよう!」

が高らかに宣言される。

   主人公たちはカボチャの馬車で「おとぎ話の世界」へ出発する。まるでシンデレラだ。しかし,彼らが向かうのは「ネバーランド」すなわちピーター=パンが暮らす,子どもが決しておとなにならない世界である。(ちなみに,これは倉木が敬愛する歌手マイケル=ジャクソンがその広大な邸宅内に持つ私設遊園地の名前でもある。また,曲の冒頭でぼそぼそとつぶやかれる英語の声はマイケル=ジャクソンの「スリラー」を思い起こさせる。)続いて毒リンゴのテーマが語られアルバムジャケットにも白雪姫が登場する。これらのおなじみのおとぎ話の主人公たちを従えて倉木が語る世界は,

 「夢を捨てるのが大人ならば なりたくない」

  永遠の子供の世界であり,しかし,それは決してノスタルジーに浸るだけのネガティブな過去ではなく

 「エメラルドの時空を越えて探す 過去の未来」

  と,未来へ向かう過去であった。そして,それらの

 「思い出の向こうには そう新しいfuture land(未来の国)」

  があるのだ。しかし,倉木にはちゃんと現実が見えている。

 「時が経つほどに 現実を知っても 儚い夢をいだいていたい」

  そう語りながらも,倉木はその現実に埋没し,自らを否定しながら現実に迎合しようとはしない。

 「Only dreamer...will see the dream.」(夢見るものだけが 本当の夢を見る)

  と,大人になるために過去の自分を否定する必要がないことを宣言する。


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