「FAIRY TALE」発表当時の倉木は19歳。彼女が文字通り「my last teenage wish」と呼ぶように,このとき倉木は「青年前期」=「思春期」を終えようとしていた。まさに今彼女はこの「疾風怒濤」の時代を駆け抜け,そして「おとな」になろうとしている。しかし,彼女が言うように「夢を捨てるのが大人ならば なりたくはない」…しかし,どう抗ってもそのときは確実にやってくる。そこで,倉木はやがて来るその日のために自分を確認しなおすため,自分をはぐくんだ子宮とも言える「おとぎ話」の世界を訪れるのだ。「最後の願い」として。
悩みのなかった,幸せだった「こども時代」を終え,「青年期」に入った若者はそれまで経験したことがないさまざまな試練に出会う。しかし,あくまでもピュアな「青年」はそこに「おとな」のようなゴマカシは使いたくない。しかし,現実は厳しく,自分もいつか大人にならなければならない…夢は捨てたくないが…。倉木はそんな悩める若者に過激にアジテーションを行うのだ。「Start fairy tale!」と。
"若者"とは"青年"とは"青年期"とは,一体なんだろう?それは,"発展途上にある時期"であると言った。そして,実はその意味では,原始時代には"青年期"は存在しなかったのである。つまり,前近代の社会においては,"こども"はある一定の年齢に達し,体力的に親と同等の仕事をこなすことができるようになると,そのときから突然"おとな"とみなされた。
奇妙に聞こえるかもしれないが,実は原始時代には"青年期はなかった"のである。もちろん,北京原人もクロマニョン人も,18歳の娘もいれば25歳の男だっていた。しかし,彼らは"若者"ではなかったのである。逆説めいて聞こえるが,決して無理な議論ではない。
前近代社会においては,社会の構成員になるに当たって,学習・習得しなければならない知識・技術の総量は現在とは比べ物にならないほど少なかった。そのため,"こども"は単に「小さな"おとな"」であり,ある日突然"おとな"になることが可能であったのである。そして,その日はひとつのセレモニーをもって迎えられた。日本における元服の儀式がそれに当たるし,最近は遊園地などでも行われるようになったバンジー・ジャンプも,もともとは未開民族の"こども"が一気に"おとな"になるときの儀式であった。(その他にも,歯を抜いたり,体に入れ墨を施したりする場合など,多くの場合"こども"にある一定の苦痛を与え,それに耐えたときから社会がその"こども"を"おとな"として受け入れることが一般的である。)そして,このような通過儀礼の儀式のことを「成年式」("はじまり"と言う意味で,イニシエイション initiation)という。
ところが,複雑怪奇な現代社会においては,"こども"は体が大きくなっただけでは,一人前の"おとな"とみなされるわけにはいかなくなってきた。"おとな"になるためには,非常に多くの,知識・技術を習得しなければならなくなったのである。
つまり,"青年"とは社会の発展とともに,新たに生まれてきた概念なのである。そして,それは現代になるにしたがって加速度的に長期化してきた。つい30年くらい前までは,最終学歴が中学卒業でも,十分,社会人としてやってゆけたのに,現在は,高等学校への進学率が90パーセントを大きく越え,さらに大学や短大などへ進む者も,30-40パーセントにのぼる。このことは,社会がどんどん複雑化し,その社会が,もはや中学校卒業程度の知識・技術力では,人間を,ますます一人前の"おとな"として評価できなくなっていることを示している。この傾向は,これからさらに強まっていくだろうと思われる。つまり,現状では,中・高生(おうおうにして大学生も)は,とても"おとな"とは呼べないのである。
ところが,彼らはすでに第二次性徴の現れる時期を終え,肉体的にはもはや"こども"とは言えない。20歳過ぎれば,学生であっても法律的には立派な"おとな"である。ところが,彼らは,いまだ社会が彼らがさまざまな勉強を修めて「"おとな"になるのを待ってくれている(猶予してくれている)時期」にいるのである。これを,もともと経済学用語で"(借金の返済)猶予期間"という意味の言葉を使って「モラトリアム」という。そして,彼ら青年は「もう"こども"ではないがまだ"おとな"ではない」という中間的(マージナル)な地位に置かれていることになることから,「マージナル・マン」(周辺人・境界人)とも呼ばれる。これは,もともと社会学用語で,ある社会において,そこに居住しているものの,完全にはその構成員になれないために,さまざまな差別を受けるなど,たとえば,ヨーロッパのキリスト教社会におけるユダヤ人とか,日本の在日韓国・朝鮮人のように,複雑な立場にいる人々のことを指す言葉であった。つまり,青年・若者とは「モラトリアム」の時期にいる「マージナル・マン」なのである。