そこでひとつのイメージが浮かんでくる。
倉木麻衣は,非常に器用な歌手である。どんな曲を歌っても「倉木麻衣の歌」にしてしまう。
R&Bを歌っても「倉木麻衣」,ロカビリーを歌っても「倉木麻衣」,ポップスを歌っても「倉木麻衣」・・・。
それでは,その本当の本籍はどこにあるのか?
それは「日本」である。
何を当たり前のことを・・・と言われるかもしれない。しかし,その意味をもう少し詳細に考えてみるならば,読者の皆さんも面白いことに気づくのではないだろうか?
かつて私は,倉木の魅力は,その「中途半端」なところにあると書いた。しかし,ここではあえてその逆を語ってみたい。
倉木麻衣は何を歌っても「倉木麻衣」である。それは,与えられた楽曲を“誰かになりきって歌う”のではなく,常にあくまで“倉木麻衣として”歌うということだ。そして,その根底にあるのは「和」のテイストではないだろうか?
すなわち,倉木はどんな場面でも“日本風のR&B”“日本風のロック”“日本風のポップス”を歌う。これは一歩間違えると,その優れた容姿とも相まって「アイドル歌手」に分類されてしまうのだが,倉木の場合,自分で詞を書くことによってアーティスティックな意味での“倉木ワールド”を作り上げ,その器用な歌唱力はどんなジャンルの曲でも最上級のものとして提示してくれる。
これはもう,なかなか言葉ではジャンル分け出来ない。あえて言うならば「ドメスティック・アイドル」とでも言えばいいだろうか?
そのルーツはアメリカなど外国にあろうとも,それを日本のものとして歌いこなし,しかも美しい。あたかもデトロイトの自動車産業をTOYOTAが脅かす姿にも似る。
ここに本籍を置く限り,倉木は決して根無し草になることなく,これからもますます成長しながら,我々に曲上の音楽を与え続けてくれることだろう。