*補論16
「The "LIFE" of Mai-K 〜荘厳さの背景〜」(2004. 9.27)


 多くの人たちが,若者だけではなくかなりの年配者をも含めて,倉木麻衣の歌に「癒される」という。倉木の曲がただ単に耳に心地よいだけではなく,心の奥底にまで浸透し,その苦悩を和らげるというのだ。私は今までさまざまな観点からその秘密を解き明かそうとしてきたが,どうしても腑に落ちないことがひとつあった。「なぜ,こんな小娘に…」という謎である。

 倉木がデビューしたのは「Baby I Like」のときならば若干16歳。その後も立て続けにヒットを飛ばしたときにでも若干17〜18歳に過ぎない。なぜこのような「小娘」の歌に,幾歳月の年輪を重ねたオジサマたちが夢中になるのか,その秘密の一端は「補論6」において考察を加えてみた。しかし,まだ納得がいかない点が残った。それは,オジサマたちが倉木に夢中になるのは分かるにしても,なぜ,このように神の光に打たれたように癒されるのだろうかということだ。

 その理由のひとつは倉木が歌うメロディの荘厳さにある。大野愛果,徳永暁人をはじめとする作曲陣がつむぎだすメロディは人の心を打ち,聞くものに快感を与えることは間違いがない。

 そして倉木の声がある。彼女の声,あちこちで何度も述べたが,そのベネチアングラスにもたとえられる繊細華麗な歌声は,あたかも天使の歌声のように聞くものの心をダイレクトに打ち抜く。

 しかし,もっとも聴衆に癒しを与えるアイテムはやはりその歌詞であろう。倉木が作詞するその前向きでポジティブな歌詞は,沈んだ気持ちを奮い立たせ,落ち込んだ感情に檄を飛ばす。

 だが,ただ単に「前向きな歌詞」というだけで,倉木の曲が神の雷(いかづち)の如き荘厳さを持つだろうか?


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