もとより,一般の日本人リスナーがこの単語の意味をかみ締めながら倉木の曲を聴いているとは思わないが,曲の中に「人生」という言葉を使うとき,やはりその曲は荘厳となり,「楽しむ曲」というよりは「噛み締める」曲となるのではないだろうか?すなわち,「Start in my life」を歌う10台の乙女には,すでに「My Way」を歌う初老のフランク=シナトラの風情が感じられるということだ。
それがどうした…というご意見もあろう。もちろん"life"の一語で倉木のすべてが語り尽くせるわけではない。しかしただ思うことは,その曲を一過性のヒットソングではなく,永久の価値を持つスタンダード・ナンバーにする力が倉木にはあり,その力に多くの聴衆は癒しをもらう。そして,そのキーワードのひとつとなるのが,この"life"の一語ではないだろうかということだ。
この言葉をさらりと曲の中に滑り込ませるセンス。一歩間違えば野暮ったくなるところをぎりぎりのところで荘厳さへ昇華させる「文学者」としての倉木の才能にはやはり感銘を受ける。
これが,私たちが自分の人生の中で倉木の曲を何よりも愛する理由なのではないだろうか。