No.2


 一番はじめに言った,倉木はその美貌にもかかわらず「性的」な存在にはならない。その理由の一端が倉木の語る「愛」の姿から見えてくる。

 倉木の歌う「愛」には,本来男女の愛であれば表裏一体であるはずの「性」を感じさせるものが極端に少ない。倉木の楽曲の舞台設定が男と女の関係を歌っているのか,それとも同性間の「友情」を歌ったものであるか区別がつきにくい(「明日へ架ける橋」はその好例)ということは,そのことを物語っている。それが,彼女の曲調にえもいえぬ「爽やかさ」を与え,結果的に「安心して聴くことができる」曲世界を形成している。倉木ファンに年若い女性が多いことはその現れであろう。

 また,他のアーティストに比べ倉木の曲には意外なほどラブソングではない曲が多いことに気がつく。「PERFECT CRIME」「Start in my life」「不思議の国」「fantasy」等枚挙にきりがないが,倉木は「エロース=愛」を歌わないのである。

 さらに特徴的なことは,直裁的に「愛」を歌い上げてはあっても,そこには偏狭な男女の愛を超えた世界が描かれているものが多い。それが一番はっきりした形を取って現れるのが,名曲「always」である。

 この曲ははっきりと「愛」を歌う。

 「always give my love always give my love to you」

と,何度も何度も力強く「愛」が歌われようとも,そこには「恋人」の姿は見えない。そこで歌われる「愛」はそういった現世を越えた「天上の愛」=「アガペー」の姿である。

倉木は10代にして,すでに神の領域の「愛」を歌った。

それこそが,彼女を他のアーティストと一線を画す存在に高め,性別や遠近,時空や国境を越えた普遍的な存在に押し上げている理由である。

 倉木を「神」とあがめる者は多いが,それはあながち奇矯な行為とはいえないと思う。彼女のことを知れば知るほど,我々は倉木の中に「神性」を発見するのであるから。


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