*補論14
「クラッシックとポピュラー音楽〜歴史家とファンの狭間で〜」(2004.6.27)


 クラッシックという言葉に「古い」と言う意味は無い。"class"の最上階にあるもの,すなわち最高級のものを指す言葉だ。だから「クラッシック音楽」というと「最高の音楽」と言う意味であり。中でも狭い意味では18世紀後半のモーツァルトやベートーヴェンの時代のヨーロッパ音楽のみを指す。当然現代人の我々はそれらの楽曲を普遍的な「最高の音楽」として与えられ,愛好しているわけだ。

 遠まわしな言い方で恐縮だが,実は私にとっての「倉木麻衣の音楽」はつい2004年4月まではクラッシック音楽であった。

 クラッシック音楽の特徴は視聴者にとってすでに完結された形で楽曲が提示されているということである。その音楽は時代を経て,我々の前に一そろいの完結したシリーズとして存在し,世界中の誰もが普遍的な感動を持ってその曲に接することができる。もちろん時代順に聞いていく必要も無いので,ベートーベンの第9を聞いた1年後に初めて交響曲第5番「運命」を聞くということは当たり前にあることなのだ。我々は同時代人としてモーツァルトの曲をヒットチャート上で応援することは不可能であり,そこには歴史のフィルターを通して生き残った「時代を超えて」普遍的に最高のものがあるのみである。

 しかし,ポピュラー音楽は違う。ポピュラー音楽とは常に「時代とともに」在る。簡単に言えば,あとになって,

「あぁ,この曲がはやっていたころは悲しい恋をしていたなぁ…。」 とか,

「この曲は始めてもらった給料で買ったCDだ。」

とかいうように,常に個人的体験と強く結びつき切り離すことはできない。時代の波にもまれていないので,ある人がいいという曲を別の人はまったく知らなかったりもする。また,あるとき涙が出るほど感動した曲が,しばらくするとなんとも感じられない凡庸な曲に思えたりもする。さまざまな意味で「ライブ」であるのがポピュラー音楽である。


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