倉木のファンには「ちょっと倉木を好き」という人は少ない。「命がけで好き」かアンチ倉木かである。アンチはアンチで倉木の存在の大きさに脅威を持っているからこそ非難中傷を繰り返すのであるから。アンチ巨人が実は「巨人ファン」というのと同じ理屈で,実は倉木の"ファン"ある。どちらにせよ,我々は倉木に対して「ただなんとなく・・・」という態度をとることができないのだ。それもやはり同様で,倉木が「努力して意識しなければ認識できない存在」であるということに由来する。
結論めいたことを言えば,「倉木のファンをやることは大変だ」。
大変な努力をしなければ,真の倉木を感じることは不可能だ。しかしだからこそ,試行錯誤の上,たゆまぬ努力によって獲得された「情報」を我々は心から信じ,尊重する。そして倉木に夢中になるのである。
もっと倉木にテレビに出てほしいという声はよく聞くが,もしそれによって倉木の存在が逆に希薄になり,歌手生命を縮めることになるのなら,それにこだわることはない。トップになれないのではなく敢てトップに立つことをせず,常に上位にいて,圧倒的な存在感を持ち続ける。いわば"小沢一郎的手法"により,倉木は末永くJ-POPシーンに「君臨」することができるのだから。