No.2


 翻って,「倉木麻衣」はどうだろう。

 彼女はどこにもいない。

 いや,いる。しかし,目には見えない。

 情報はBeing系の雑誌,冊子を通じてのみ滴り落ちる水滴の如くにしか与えられず,テレビやラジオで生の姿を拝することはほとんどない。その数少ない例が「Mai-K TV」であり,「Baby I Like」であり,「紅白歌合戦」であった。しかし,前二者はすでになく,後者は365日に2分半だけの露出に過ぎない。つまり「倉木麻衣はどこにもいない」のである。

 だからこそ,我々は探さなければならない。どこにいるか分からない「倉木麻衣」を…。

 インターネットを駆使し,雑誌を買い集め,ライブチケットを手に入れ,我々はどうにかして倉木の素顔に迫ろうとする。そこには,大変な努力がある。座していては決して与えられはしない。我々は努力を通じてしか「倉木麻衣」に近づくことは出来ないのだ。

 だからこそ言えること。…努力して,苦労して得たものは決して捨てられることがない…という真実である。

 私もなぜ自分がこれほどまでに倉木に惹かれるのかを自問することがある。もちろんそれは彼女が,非常に質の高いシンガーであり,稀有の才能を持つアーティストであるからなのだが,それでも,もし彼女の情報が6月の雨の如く降りそそいできたとしたら,我々は,もうこれほどの「努力」をもって倉木の情報を集めようとすることはなくなるだろう。そうなれば,倉木もいつか飽きられ,姿を消していくかも知れない。その意味で,GIZAの露出制限政策はある意味で的を得た戦略ではあるのだろう。


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