No.5


 大野と徳永。この両者の曲はそのイメージが大きく違う。性が違うということがもちろんその根底にもあるだろうが,大野の曲が(おそらく大野自身の音域と倉木の音域が重なることもあって)音域が広く,アップダウンが頻繁でしばしばファルセット領域へ到達し,ワンフレーズの中に音符の数がかなり多いのに対し,徳永の曲はメロディよりもリズムを重視するところがあり,余り広い音域を使用せず(その結果ファルセットは余り使われない)シンプルなつくりとなる。もちろん「どちらがいいか」というのはまったく個人の趣味の問題で,私がここでコメントする立場にはないのだが,少なくとも両者とも,セールスの面では同等に倉木のキャリアに貢献していると言っていいだろう。しかし,大野を推す声が多いのもまた事実であり,おそらくそういった人たちは,倉木が大野の曲を歌唱したときの,まるでベネチアングラスの細工物のような繊細可憐なファンタジーワールドにこそ倉木の魅力を見出しているのだろう。しかし,一方,徳永の曲を歌うときの倉木は,たとえるなら宋の白磁のような艶を持って我々を純粋な音楽の快楽へと導く。アルバム「FAIRY TALE」の冒頭からの3曲「Fairy tale〜my last teenage wish〜」「Feel fine !」「Ride on time」はすべて徳永のペンになるが,その迫力とリアリズムにおいて倉木の全キャリアを通しての最高の瞬間のひとつとなっている。まさに「中期三部作」とも呼んでよい。

 だから,倉木=大野ファンの方々には声を大にして言いたい。どうぞご心配なく。「明日へ架ける橋」はきっとすばらしい曲になる。どうか一緒にそのメロディが聞こえてくるときを待とうではないか。徳永がダメなどということは決してない。しかし,それでも大野の曲が聞きたい皆さん。それも心配ない。「中期三部作」のあとから「key to my heart」の歌声が聞こえてくるように,やがて大野もすばらしい曲を提供してくれるであろう。さらにはYOKO Black.Stoneや春畑道哉の他にも強力な作曲家が登場するかもしれない。今しばらくの我慢だ。

 もうすぐ春が来る。


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