No.2


*宇多田ヒカルと倉木麻衣

 倉木が17歳でデビューしたときのことはさすがの私も知っている。"Love, Day After Tomorrow"のPV(プロモーション・ビデオ)は鮮烈であった。「こんな幼い美少女が,このような難曲をいとも簡単に歌いこなすとは…」私だけではなく,世間の多くがそう思い,この曲はミリオンセラーとなった。しかし,彼女は決して幸せなデビューを飾ったわけではない。順風満帆の彼女の前に立ちふさがる影…それが宇多田ヒカルであった。

 倉木のちょうど1年前に"automatic"で鮮烈なデビューを飾り,"first love"の巨大なヒットを生み出した彼女は,当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった。そんな中で「歌手」倉木は生まれた。これは彼女にとって幸せであったのか不幸であったのか?

 女性R&Bというこれまでの日本ではあまり耳慣れない音楽(強いてあげれば和田アキ子?)は,宇多田のブレイクによって国民的音楽となり,業界にとっては「2匹目のドジョウ」を狙うに幸いの状況であった。そして,そこにぶつけられてきたのが倉木である。

 確認しておきたいが,私は倉木のファンであり,彼女の全曲を知っているが,宇多田の曲は数曲しか知らない。よって,論旨は当然倉木サイドで展開されるが,客観的に見て避けられないことは倉木不利の内容も書かざるを得ない。

 倉木自身にその意思はなかろう。デビュー直前の16歳の高校生にとって,時代の大スターに対する憧れはあっても,宇多田を商業的に「パクる」というような気持ちがあったとは考えがたい。

 しかし,周りの「おとな」たちはどうだったろうか。宇多田の巨大なセールスを目の当たりにすれば,関係者は誰でも「2匹目のドジョウ」を狙いたくなるであろう。そしてそれが,倉木にとっての幸運でもあり,不幸でも会った。

 幸運とは前述したとおり,宇多田によって開拓された女性R&B「歌姫」ブームである。しかし,彼女にとっての不幸は,そのセールス手法により現在までも2ちゃんねらーに付きまとう「宇多田のパクり」説である。


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