サイバーサウンドのメンバーによる強烈なリズム感を持った曲。同じ傾向の曲が続かないために急遽シングル化されたというが,倉木の全キャリアの中でも特異な曲となっている。ラップの部分はマイケル=アフリックによるもの。大半が倉木自身の手になる英語詞で,US盤アルバム「Secret of my heart」の中には,英語詞をつけなおさずにこのまま収録されているほど。
"gonna"は"going to"の俗語表現。決して上品なものではないが,洋楽の中では非常によく使われる。
内容自体は少し物議をかもしそう。山口百恵はかつて「青い果実」で「あなたが望むなら 私何をされてもいいわ」と歌い,話題になったが,ここで倉木も
「君の愛は素晴らしいから 体に触られると言葉にならない(ほどうれしい)」
と歌う。ショッキングな内容であるが,次の瞬間
「その接触とは心と心のふれあいである」
とかわす。18歳の少女にしてはこれが精一杯の表現で,ファンは胸をなでおろすであろう。
気になる表現は
"Together we share this love so strong."
"strong"は形容詞だから
「私たちはこの愛を強い力で共有している」
という意味に使うのなら副詞の"strongly"を使わなければならない。俗語表現では許されるのだろうか?
英語詞が多いが全体の翻訳はこちらを参考にされたい。
2.は一聴して大野愛果のものと分かる,流れるような美しいメロディ。こちらがA面でも全くかまわなかったような曲。しかし,"Stay by my side"や"Secret of my heart"と同じ系統の曲なので,この手のものを3作続ける訳にはいかなかったのだろう。内容はある朝の点描で,さほど深いものはない。英語詞も少ない。
ただ,演奏には注目すべき点がある。
ベース演奏と言うものは普通はコードのルート音を中心に(Cならド,Aならラ,等)を中心に,ボン・ボボン,ボン・ボボンとリズムを刻む。近年は割りと目立つベーシストが多いが,一般的には裏方のイメージが強い。
ところがこの曲は,ベースが走りまくる。リズムではなくメロディを弾いてるときも多い。
にぎやかなベースだなぁと思ったところ,ふと気がついたのは,これはポール=マッカートニーのベースプレイに近いのではないかと言うこと。
ポール=マッカートニーを知らない人はいないと思うが,彼は大変な目立ちたがり屋で,自分の曲でもベースでメロディを弾きながら歌ったりすることもある。さらに自分がボーカルをとらない別のメンバーの曲,特に自分より年下であまり文句を言われることのない(故)ジョージ=ハリスンの曲などになると,ボーカルよりも前に出ようとばかりベースを走らせまくり,ボーカリストよりも目立ってしまうということもある。その代表的なものが名曲「Something」や「While My Guitar Gently Weeps」なのであるが,ジョージはこれを嫌っていて,自分がソロでこの曲を演奏するときには,ベースは「普通に」弾かせている。
Trying To Find My Wayのベースは,この「Something」や「While My Guitar Gently Weeps」を思い出させる。後期ビートルズを意識してアレンジしているのではないかという気がするのだ。