「Mai-K研究」参考資料1
1.原点への回帰〜反社会的ロックの復活 1970年代中期までにすっかり“上位文化”化したロックに対し,もはや若者の代弁者たり得ないと反旗をひるがえし,再びロックに攻撃性や不良性・反社会性を与えたのがパンク=ロック(punk)であった。彼らは体に安全ピンを刺したり,頭髪も脱色やスキン=ヘッドなどの特異なファッションに身を包み,反社会的で過激な歌詞を,下手なのかうまいのか分からないような演奏・歌唱で表現する,新たなロックの一分野を生み出した。この動きは,70年代のニューヨーク=ドールズ,ブロンディなどのニューヨークパンクから始まったが,当初はアンダーグラウンド的な性格を脱し得なかった。しかし,それがイギリスにわたり,1977年セックス=ピストルズが登場すると,その攻撃性・即興性は若者の絶大な支持を集め,一躍ロックシーンの主流に躍り出て来たのである。このようなロックの“サブ=カルチャー”回帰的な側面は,ジャマイカの民族音楽であるレゲエ(reggae)がロックに取り入れられるようになると,さらに強調されるようになった。そして,レゲエのスーパー=スター,ボブ=マーリーは,新時代の教祖的な性格を帯びてくるのである。 一方イギリスではパンクのカウンター=パートとして,メロディアスなグループ=ポップスが流行していた。70年代中期から末期にかけて,“ビートルズの再来”といわれたベイ=シティ=ローラーズは日本でもアイドル的な人気を獲得し,他にも10ccなどのしゃれたセンスを持つポッポス=バンドが興隆した。この時代のイギリスは労働党政権下の,いわゆる“英国病”といわれた不況の時代であり,経済的混乱への代償として若者たちはベイ=シティ=ローラーズやパンクに葛藤のはけ口を求めたのである。 2.エレクトロニクス・テクノロジーの進歩 1970年代も末期となると,デジタル技術を中心とするエレクトロニクス分野で大規模なテクノロジーの進化が見られ,ロックもその時代状況をあと追いし,ここにシンセサイザーを中心に据える無国籍音楽,テクノ=ポップが誕生した。テクノ=ポップとはコンピューターでプログラミングされたシンセサイザー=サウンドを中心に据え,ボーカルさえデジタル処理して無国籍化する音楽である。シンセサイザーを中心とする複雑な音楽は,すでに60年代後半から,プログレ=ミュージシャンや,日本の富田勲のようなクラッシックの分野では一般的になっていたが,70年代末期,日本にイエロー=マジック=オーケストラ(YMO)が登場すると,“技術大国”日本のイメージともあいまって世界的な人気を獲得し,おそらくポピュラー音楽史上初の日本からの文化発信となった。(メンバーの一人であった坂本龍一は,その後も『ラスト=エンペラー』などの世界的な映画の音楽担当者として,世界に向けて文化発信を続けている) また,いつの時代にもテーゼにはアンチ=テーゼが登場するが,80年代になるとパンク=ロックの否定形である,ニュー=ロマンティックスと呼ばれるファッショナブルな耽美派ロックが登場し,カルチャー=クラブ,デュラン=デュラン,スパンダー=バレエらが活躍した。彼らは,その後の大きな潮流とはならなかったものの,そのスタイルは多くの追随者を生んだ。
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