「Mai-K研究」参考資料1

 「ロックの歴史」(〜1990's)No.4


第4章−ロック=ミュージックの完成期〜ビートルズの時代

1.ビートルズ登場

 1964年2月,初のアメリカ公演のため,ニューヨークのJFK空港に降り立った4人の若者たちを待っていたものは,1万人近い若者たちの絶叫であった。

 彼らの,(事実上)アメリカでの最初のシングルレコードとなった『抱きしめたい』は,あっという間に50万枚という記録的なセールスを達成し,その年の春には,全米チャートの1位から5位までをビートルズの曲が独占し(1.『キャント・バイ・ミー・ラヴ』/2.『ツイスト・アンド・シャウト』/3.『シー・ラヴズ・ユー』/4.『抱きしめたい』/5.『プリーズ・プリーズ・ミー』),ベスト10の中に14曲を送り込むという,前代未聞の“奇跡”が起こった。彼らの行くところ,“ビートルマニア”と呼ばれる熱狂的なファン現象が巻き起こり,巨大なレコード売り上げ・24時間連続のラジオ放送・5万人規模の野球場コンサート等々,彼らはショウ=ビジネスの常識を次々と塗り替えていった。

 ザ=ビートルズ初めてイギリス出身のロックミュージシャンが,アメリカを征服したのである。

 彼らの演奏する曲は,多くのレノンとマッカートニーのペンによるオリジナル曲を含んでおり,かつてのロック=アンド=ロールのカバーではあっても,まったく新しい曲として仕上げられていた。また,メンバー全員が楽器を演奏しながら歌うというスタイルも斬新であり,彼らの“長髪”やファッションも,世界の若者文化や風俗に革命的な影響を与えた。ここに,ロックはまったく新しい時代を迎えたのである。

2.ブリティッシュ=インヴェイジョン

ビートルズの成功はイギリスの若者たちに大きな夢を与えた。彼らの大成功をきっかにリヴァプールのバンドブームは沸騰し,“リヴァプールサウンド”と呼ばれるビリー=J=クレーマー&ダコダスゲリー&ザ=ペースメーカーズなどのバンドが登場し,ロンドンなど他の地域からも,R&B的なザ=ローリング=ストーンズアニマルズ(『朝日のあたる家』),また,ジェフ=ベックエリック=クラプトンジミー=ペイジの3大ギタリストを擁したヤードバーズ,ハード=ロックの元祖ザ=フーキンクス(『ユー・リアリー・ガット・ミー』)らの,一時代を画するようなバンドが,堰を切ったように登場した。中でもデビュー以来30年以上も存在し,メンバー・チェェンジを繰り返しながらも,世界最大級の人気を誇っているのが,ローリング=ストーンズである。ミック=ジャガー(ヴォーカル)とキース=リチャーズ(ギター)を中心に結成されたストーンズは,ビートルズが,洗練されたイメージを大切にし,ポップで親しみやすい音楽を発表し続けていたのに対し,黒っぽいR&Bを主に,ミック=ジャガーの悪魔的なヴォーカルを中心に据え,ドラッグ(麻薬)や暴力を肯定する“不良少年”のイメージで売っていた。彼らは,ビートルズが「抱きしめたい」と歌うとき,「俺はむしゃくしゃするんだ」と歌い(『サティスファクション』),かつての“反抗する若者”のチャンピオンに成長していった。このような,ビートルズをその頂点とする英国系バンドのアメリカ=世界進出は,“英国の侵略”(ブリティッシュ=インヴェイジョン)と呼ばれ,ここにロックは完全に世界の若者の共通語となった。

 なお,1960年代後半,日本でもザ=タイガース(ヴォーカル:沢田研二)・ザ=テンプターズ(ヴォーカル:萩原健一)・ザ=スパイダース(ヴォーカル:堺正章)などの活躍により,“グループサウンズ”と呼ばれるバンド=ブームが起こった。これは明らかにブリティッシュ=インヴェイジョンの影響を受けたものではあったが,音楽の制作過程はプロの作詞・作曲家チームが作った歌を,ユニフォームに身を包んだバンドが演奏するという,ティン=パン=アレイ的なものであり,ブームが去ったあとは,日本ロックの主流とはならなかった。

3.リズム&ブルースからソウル=ミュージックへ

 ロック=アンド=ロールの生みの親である,黒人のR&Bは,ロック=アンド=ロールの商業的成功の陰で,白人音楽に軒を貸して母屋を取られた形になり,衰退の一途をたどっていた。しかし,1958年“北部の”デトロイトで設立され,60年代になるとスモーキー=ロビンスン&ミラクルズスティーヴィー=ワンダーシュープリームス(中心はダイアナ=ロス)を擁し一大黒人音楽帝国を築いたモータウン=レコードが大成功を納めると,黒人音楽も転換期を迎えた。モータウンは,いまだエスニックな趣を強く残していたR&Bに,白人音楽の要素を取り入れ,60年代の公民権運動(黒人差別撤廃運動)の中で,社会的にも経済的にも徐々に地位が向上してきた黒人中産階級の要求に応えるヒット曲を量産した。この頃から黒人音楽は,R&Bから“ソウル=ミュージック”と呼ばれるようになった。この時代,質・量ともにアメリカでブリティッシュ=インヴェイジョンに対抗できたポピュラー音楽は,このモータウンのソウルのみであったと言ってよいだろう。

4.“サイケ”の時代

 1960年代後半,アメリカ西海岸に奇妙な若者風俗がおこった。サンフランシスコを中心に,髪とひげをぼうぼうに伸ばし,半裸で,あるいは万華鏡の中の世界のような極彩色の衣装に身を包み,体に花を飾り,マリファナ(大麻)を楽しみながら,共産主義的なコミュニティーを形成し生活する,ヒッピーと呼ばれる若者たちが大量に登場したのである。彼らの文化は,マリファナやLSDを初めとするドラッグ(幻覚剤=麻薬)によって引き起こされた幻想的精神世界を強調したことから,“サイケデリック”(精神拡張的)文化,あるいは,体に花を飾った姿(スコット=マッケンジーは『サンフランシクコに行くときは髪に花を挿すのを忘れずに』〈日本題は『花のサンフランシスコ』〉と歌った),またその絢爛さから,“フラワー=ムーヴメント”と呼ばれた。その潮流の中で独自の音楽世界を築いていったのが,西海岸から登場したジェファースン=エアプレイン(後のジェファースン=スターシップ)や,『夢のカリフォルニア』の大ヒットで知られる,ママス&パパスなどであった。

5.サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 このような若者文化の急展開の中でも,ビートルズは常にその先頭を走っていた。

 1965年の名曲『イエスタデイ』では,バックに弦楽四重奏団を採用し,ロックとクラッシックの融合を図り,同年のアルバム『ラバー・ソウル』で,ジョン=レノンはディランの影響を受け,詞の面での“ロックの哲学化”を行った。また,1966年のアルバム『リヴォルヴァー』では,電子音楽やインド音楽とロックの融合を図りロックに新たな方向性を与えた。そして1967年,ビートルズは,歴史的アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表した。このアルバムはポール=マッカートニーのアイデアで,架空のバンドが架空の聴衆を前に演奏するという体裁をとっていたが,そこに描かれた世界は,ドラッグ文化・世代の断絶・インド音楽・ジャズなど,60年代のすべてを音楽で描き切り,『サージェント・ペパー』は60年代ロックの集大成,ロック史上最高のアルバムといわれた。実際,このアルバムは,レナード=バーンスタイン武満徹らのクラッシック音楽家や,音楽以外の他のジャンルの文化人たちからも絶賛を受け,「1960年代を後世に伝えるために,何かひとつだけタイムカプセルに入れるとすれば,このアルバムをおいてほかにない」とさえ言われる,“芸術作品”となったのである。ここに,若者のみの専売特許であり,クラッシック音楽や絵画・文学など他の文化に比べると,一段低いもの(サブ=カルチャーカウンター=カルチャー)とみなされていたロック=アンド=ロールは,文化的に成熟・完成し,大人でも楽しめる新しい芸術となった。そしてこの頃から,ただ音楽にとどまらず,社会のありとあらゆる要素を含むようになったこの音楽は,もはやロック=アンド=ロールではなく,単に“ロック”と呼ばれるようになったのである。

6.ウッドストック

 このような新しい“ロック”を完成させ,ロックと若者が持つパワーを,世間に圧倒的迫力を持って認識させたのが,1969年8月ニュー=ヨーク郊外で4万人もの若者を動員した,ウッドストック=フェスティヴァルであった。サンタナカルロス=サンタナ率いるラテン=ロックバンド),ザ=フー,ジミ=ヘンドリックス(歯でギターを弾くなどの派手なパフォーマンスで人気があった黒人ギタリスト),ジョー=コッカー(ビートルズの『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』の圧倒的なカヴァーで知られる),クロスビー=スティルス=ナッシュ&ヤング(CSN&Y),ジェファースン=エアプレイン,スライ=アンド=ファミリー=ストーンらのロック=ミュージシャンたちは,自分たちの言葉で,若者たちに,反戦・左翼的平等・友愛・ドラッグなどの,フラワー=ムーヴメント的世界を語った。そして大人たちは,そこに集った若者たちの力は,もはや無視も嘲笑もできないものであることを悟ったのである。ここにロックは,社会全体を包み込む一大勢力となった。